2019年12月09日

Do the next right thing(「アナと雪の女王2」評)

アイデンティティ探しは、
たしかに1で追求しなかった要素だ。
うまい鉱脈を探してきた。

ターミネーター2並みの、
完璧な接ぎ木だった。


アナ雪の基本構造は、
姉妹のデュアルストーリーである。

それぞれがそれぞれの話を持ち、
それらが交差するように出来ている。

そして一方は超人、一方は凡人であるところから、
姉には憧れをもって、「自分がこうだったら」
という想像力で接して、
妹にはより自分に近しい立場として、
自分を重ねる。

ダブル主人公の美味しい部分を完璧に使っているわけだ。

邦画のしょうもないダブル主演なんか阿呆のすることだ。
ダブル主人公は、こうやって対比で使うのだ。


姉エルサの話では、
自分探しの物語が主であり、
主題歌もそれであった。

まあ母が魔法の国出身で、
ふたつの種族の架け橋になるというのは、
よくあるパターンだ。

これが姉だけの物語であれば、
よくある平凡なストーリーに終わっていただろう。
アナの活躍がこのストーリーを重層的にしている。

洞窟を抜ける時の、
「Do the next right thing」がとても良かった。
これをベースにテーマにしても良かったんじゃないか?

いや、もしこれが3まで続き、
このテーマが3のテーマになるとしたら、
エルサは死に、その後を継ぐときに、
このテーマがもう一度流れることになるかも知れない。

それくらい力強いテーマで、
全体をこれで通して欲しかったなあ。
アナは主人公じゃないからねえ。


オラフとクリストフのコメディリリーフぶりは堂に入ったもので、
中盤の森に迷った時の80年代風MVは最高だった。
もう少し冒険の役割を与えてやりたかったね。


脚本論的なコメントをしておくと、
ボトムポイントが秀逸である。

ボトムポイントは大抵洞窟が西洋では出てくる。
エルサがたどり着いたのは子宮だし、
アナが迷い込んだのは洞窟だった。
ここからどう駆け上がるのかが、
第二ターニングポイントになるわけだ。

そのビジュアルたるや、あまりにも素晴らしくて息を飲む。
ネバーエンディングストーリーのロックイーターを、
ようやく超えたような気がする。
(ゲームではワンダと巨像があるけど)


姉妹の芝居があまりにも実写的で、
これもう実写でやったらええやんか、
などと思っていたが、
スペクタクルはCGじゃないと無理だし、
流石はディズニーといったところ。

ストーリーデベロップメントに20人クレジットされている。
日本映画は、どうやってこれに勝つのだ?

CGやファンタジーを使えば使うほど、
物語は原始的な最も人間の根源になる。

今回ではアイデンティティやDo the next right thingだ。
そんな根源的で本質的な人間の何かを、
日本の作家は書けるのか?

僕はそうありたくて、天狗の話を書いている。
僕にとってのnext right thingをしなきゃな、
などと勇気をもらった。
posted by おおおかとしひこ at 00:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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