良く良く考えてみると、
ベタな構造で新鮮味がなかったね。
以下ネタバレ。
幼い頃両親に聞かされた伝説の地。
両親はそこへ向かう途中で事故死したのだった。
その危険な地は全ての記憶がある子宮。
かつて二つの民族が争った。
それはダムで封鎖されていた。
(壊せばOKのものを悪にすれば、
壊れるスペクタクルをクライマックスに出来る逆算)
ひとつは魔法民族、ひとつは人間。
その二人が結婚して生まれた魔法を持つ人間。
それが二つの民族の橋渡しになる。
これがほぼほぼ全体の構造で、
エルサを途中でフリーズさせて、
アナへバトンを渡しただけ、
という構造が見えてくる。
あとはこれが面白くなるように、
ディテールをつくっていく。
霧に包まれたままの魔法の森。
火の精のサラマンダー、風の精のシルフ、
水の精の馬、土の精の岩男。
あとはオラフをピエロに使い、
この世界にアナ雪の登場人物を放り込めば、
今回のシナリオになるわけだ。
構造自体はどこでも見たようなもので、
新鮮味があるわけではない。
ではどこが新しい部分であったのか。
キャラクターたちと楽曲ではないだろうか。
つまり、中身の構造自体は同工異曲だが、
ガワをうまく張り替えたことによって、
この映画は映画として成立しているわけだ。
「人気作品の、接木的続編」
の参考になるのはこういうことだ。
キャラを生かして、新たな冒険の舞台をまるごと作って仕舞えばいい。
そこでアイデンティティがわかるような、
過去の因縁が解消する秘密がわかれば、
1からの続編のように見えるというカラクリだ。
似たカラクリは、
他の続編でもあり得るかも知れない。
今回の映画は、シナリオの中身的にはやや物足りない。
アナが、Do the next right thingに至るための、
前置きが全くなかった
(ただの活発な子としてしか描かれていない)し、
エルサのテーマがほとんどない。
「私は魔法一族の末裔であった」
とアイデンティティを確立したはいいが、
故郷に戻る結論は爽快だがつまらない。
これでは、多くの移民や侵略者は国に帰れば幸せになれるのに、
なんてことを思ってしまうように思う。
ディズニープリンセスの新しい形としての文脈だが、
一人は故郷に帰って一人暮らし、
一人は都会で結婚、
という折衷案を出してきたに過ぎなく見えてしまう。
人それぞれということで、
みたいなつまらない結論だ。
理想はメルティングポットだと思うので、
魔法の森の一族と行き来する、
合同王国になったということなら、
まだ分からないでもないが。
少し疑問に思うのは、
あの王国には城や街などの文明を下支えする、
奴隷が見当たらないことだ。
国の運営に必要な国民の数が、
崖の上に避難した人数では明らかに足りない。
ヒロイン二人の雅な衣装はどこからやってきたのか。
女子の思うキラキラ生活は奴隷の上に成り立っていることを、
次の3では描くべきかも知れない。
そのつもりの2ならわかるけど、
3がないのなら、ドリームにすぎやしないかと思う。
エルサは途中から素足になったが、
アナがずっと高いヒールを履いてるのが気になった。
エルサのメイクが一度も落ちない(寝室でも)も、
気になった。
女と冒険は、だから相性が悪い。
フェミニズムに端を発するダブルヒロインは、
ヒールとメイクを捨てなかったわけだ。
それは女の象徴なのだろうか?
それがないと女じゃないのだろうか?
それが女というファンタジーであり、
そこを突き崩さないとフェミニズムのゴールじゃないのか?
じゃあ女は男になればいいのか?
女の冒険の違和感が、奴隷の件も含めて、
ずっと付きまとっていた。
フェミニズムの人たち、どのように考えますかね。
上級国民の女性の人権は、
派遣や下流に一定数の男を落とし、
新奴隷層を作ることで確保されたと思う。
そのルサンチマンがジョーカーで、
上澄みがアナ雪ではないかと、
僕には見える。
どちらも庶民の夢(無意識)を反映している。
2019年12月09日
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