2019年12月09日

何故点Pは動くのか

なんと点Pを固定した勇者が現れたという。

「世の学生のために...二度と動くな」 アロンアルフアで「点P」を固定する勇者が現れる
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/17500937/

あくまでネタとしては面白いが、
点Pが嫌いな人が思うほど多くてびっくりした。
この理由を、物語論的に解釈してみる。


おそらく点Pがみんな嫌いな理由は、
「なぜ動くのかが分からない」ことに尽きるのではないだろうか?

物語論的にいうと、
「動機が不明である」から、
不可解なのである。

動機さえわかれば、
その動きも納得が行くものだ。


「10分早く出た兄に追いつくために急ぐ弟」
の例では、
「追いつくために急ぐ」と、
動機と行動が示されているため、
その動きを理解できる。

逆に点Pには動機が見当たらない。
だから「動くな!止まれ!」と思ってしまうのではないだろうか?


数学的、解析的に考えると、
実際点Pだけでないことが多く、
点Qも点Rも動くのが現実の設計の場面である。
そういうときはQRを固定した状態で、
点Pだけを動かし、
Pの全体への影響度を測定する。
偏微分というこの考え方は、
大学数学で初めて出てくる考え方だ。

しかし実際問題、
「モテるためにはルックスなのか、
ファッションなのか、喋りなのか、センスなのか」
などの動的要素が同時に働くわけで、
そういうときは、
「他の要素が全部同じの二人がいるとして、
ルックスだけが違うと結果はどうなるか?」
などのように考える。

これが点Pを動かして結果を見るということに相当する。

これは、
「打ちやすく疲れず速い文字うちにおいて、
配列を変えるべきか、押下圧を変えるべきか、
キーボードの物理を変えるべきか」
という問題と全く同じ解析をする。

モテとキーボードという全く違うものが、
PQRに抽象化されるところが、
数学のすごいところで、
おそらくこれを学校で教えてない。
だから数学の魅力が伝わらず、
ただの不可解な命令になり、
数学嫌いが増えるのだろう。

現実の複数動点問題の部分問題であることを伝えていないから、
みんな嫌いになるし、
論理的な考え方が育たなくなっていると思う。

(たとえば、
今売上が上がっていない問題は、
コストを下げるべきか、
スケジュールをまくべきか、
開発に投資するべきか、
それぞれをやるならどれくらいの比で重心を置けばいいか、
などは同じ問題の構造だ。
こうしたことを仕事の場で考えられる人は、
社会に出たらすごく少ないことを初めて知った)



数学的議論が長すぎた。
本題に戻る。

不可解なものがずっと何目的かで動くことは、
不信を生み、理解の拒否を生む。

あなたのストーリーは、
動機を明らかにしているだろうか?
posted by おおおかとしひこ at 22:37| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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