ダブル主人公のエルサとアナ。
エルサにはアイデンティティ探しという動機がある。
アナに動機がない。
だから感情移入しづらかった。
意図的に省かれていた可能性は否定できない。
「投影する主人公は空であるべき」
というジャンプ的な理論もある。
しかし僕は感情移入は投影ではないと考えるので、
空っぽの人物には感情移入できない。
冒頭、母親が寝物語を聞かせるとき、
アナの仕草は異常に可愛かった。
「いい子」の姉に対して、
いびきすら愛らしいキャラとして描かれていた。
大人になってからも、
「なんでも相談して」と、
立派な大人になっていて、
とても庶民派のいいキャラクターになっていた。
しかし感情移入と、
好きになるキャラクターは関係がない。
好きと感情移入を僕は分けて考えている。
好きなら感情移入(というか肩入れや贔屓)をすることもある。
しかし感情移入は、見知らぬ人や嫌いな人にもすることがある。
万人に愛されるキャラとしてアナは出来ていたが、
感情移入されるキャラとしての設計はなかった。
何が必要か。
動機だ。
なぜ彼女は冒険についていくの?
姉をまた一人にしたくないから?
そこが彼女自身の人生の動機?
彼女自身の目的はなんだろう?
プロポーズという大きな出来事はあるものの、
それはクリストフの問題であって、
「どうプロポーズを受けるのか」
というアナの問題ではない。
ということは、
「プロポーズをされた所からストーリーを始め、
その葛藤を物語化する」
ということもあり得たはずだ。
しかしその場合、コメディリリーフとしてのクリストフが勿体無いので、
それはやめるとして、
じゃあどうすれば彼女の「人生の問題」を創作できるか、
ということになる。
たとえば、
「優秀すぎる姉を持つ、妹のコンプレックス」
ならば、誰もが感情移入できるストーリーになるし、
その解決としての、
「Do the next right thing」は結論になりえる。
優秀な姉はいつもthe best right thingをする、
というコンプレックスがあれば、
「私は私にできることをする」
という自立は、姉からの精神的独立のドラマになりえる。
ということは逆算して、
「姉はチヤホヤされているが、
妹は常に蚊帳の外」
ということを描けば良い。
子供の頃のように雪あそびをしたいのに、
と思ったとしても叶わず、
エルサの優秀な魔法は国のためにある、
などと締め出されてしかるべきだろう。
いつも「エルサの妹」として紹介され、
「アナ」というひとりの人間として紹介されることはない、
などのコンプレックスを描くだけで、
彼女の人生の問題はセットアップできるはずだ。
クリストフをここに使うならば、
「ほんとうはエルサにプロポーズしたいんじゃないの?」
と言ってしまう、
というエピソードも創作できるだろう。
かくして、
平凡な彼女がアイデンティティを掴み取ること
=ダムを決壊させる英雄になること、
という帰結へ走らせることが可能になる。
弟や妹は、幼い頃は兄や姉についてくものだ。
それがいつの頃からか自立して遊ぶようになる。
そこの本質を描けば、
アナをひとりの人間として描けることになっただろう。
もちろん別解もある。各自考えられたい。
そういう意味で、
今回の2は、人間ドラマとしては平凡な薄味だ。
楽曲やキャラクターに引っ張られているだけで、
独自の深みを持っていたわけではない。
枠組みは良くできていただけに、
魂の部分が足りない。
続編の傑作、T2の場合、
「マシンが人間を理解する」という、
前作を超えるテーマ性があったから、
1を超えることが出来た。
アナ雪2は、アナ雪1を超えず、
同等レベルであったということだ。
2は1を超えるべきだ。
続編に期待されることは、
ガワが超えることだけではなく、
中身の深さも超えることだと思う。
各自、深くするとしたら、を考えるのも、
立派な脚本の勉強だ。
2019年12月10日
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