時間軸があるのがストーリー、
ないのが設定。
設定は、「これまでこうで、いまはこう」だ。
ストーリーとは、その設定のもとに、
「何をしたか」「その反響は何か」
で記述される。
世界A(設定)に対して、
オペレーションPを実行したとする。
世界Aにある何か(モノ、人)が反応して、
微妙に変化してBになる。
次にまたオペレーションQをする。
そうするとまたBの何かが反応して、
世界Cになる。
この繰り返し。
つまりストーリーとは、
AにPを「した」ら、Bに「なり」、
BにQを「した」ら、Cに「なり」、
…
最終的に、
Sを「した」ら、Zになってしまい、
それ以上変化がなくなった。
という形式で記述される。
世界を変えようというオペレーションと、
その反応による変化の遷移の記録が、
ストーリーである。
世界を変化するオペレーションとはなんだろう。
「誰かを殴る」はある。
「誰かの悪口を言う」は変化のレベルは小さい。
ほとぼりが冷めたらもとに戻るものは、
世界の変化へのオペレーションではない。
「掃除する」は世界の維持のオペレーションだが、
それをずっと見ていた誰かが、
黙って掃除に協力してくれるようになったら、
世界を変化させたオペレーションに昇格する。
設定は変化を含まない。
「これはこうである」と言う現在形か、
「これはこうであった」という過去形で記述されるので、
状態変移を含まない。
静的というのはそうした意味だ。
つまり、
基本、ストーリーというものは、
世界を台無しにすることの連続だ。
もとに戻らないなにかをすることがストーリーだ。
相手を怒らせて台無しにして、
謝って元に戻るのではなく、
相手に欠点を気づかせて変化があり、
自分も欠点に気づいて克服する、
などの、初期状態Aに戻らない状態変移を、
ストーリーという。
それが、最初より良くなっているものをハッピーエンド、
悪くなっているものをバッドエンドという。
僕は、ストーリーがあるからには、
最初のAより良くなるべきだと考えている。
悪くなって終わる世界にいるのは不快だからだ。
僕は世界を良くしたいから、
良くする具体例を沢山知りたい。
物語とはつまり、世界を良くするシミュレーションとして、
楽しめなければならない。
最終的に良くなるが、
途中で最悪の状態になることもあり、
それを起伏という。
単調増加して幸福になることは現実にはない。
良くなることと悪くなることを繰り返して、
徐々に結論へ近づいて行くのがふつうだ。
ということで、
「事態はちっとも進んでいない」のはストーリーではない。
どんな発言があろうと、元に戻るのはストーリーではない。
ストーリーとは、
「現状を台無しにする」「行為」で進む。
2019年12月10日
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