ストーリーにおける説明は、
たったふたつに集約するべきだと思う。
「今、何をしなければならないか」
「何故そうしなければならないか」
だ。
勿論、
世界の仕組み、道具の仕組み、組織の仕組み、
手続きの仕組み、人間関係、今の気持ち、
過去にあったこと、
などの説明は必要ならば必要だ。
「それを理解しないと話を理解できない」
ものについては、
時間をとって説明するべきだ。
下手で長くても、
なくて分からないよりましだから、
誠実にやればみんなわかってくれる。
ここは上手な人は上手で、
うまく省略したり、
たとえ話を使ったりして、
聞き手の負担を減らし、想像が膨らむようにすることができる。
しかしそれ以前にもっと重要なことは、
説明するべきことの最小限を見極めることで、
あなたを愛していることを説明するときに、
DNAの二重螺旋構造を説明しても意味がない。
(もっとも、
なぜDNAは二重螺旋構造なのか?
二重で世界を縛るためにある。
僕と君は世界を二人で固定するための、
ぴったりした存在なのだ、
などのような口説きが重要ならば、
二重螺旋構造の説明はあったほうが良い)
あるいは、映画は絵で見せるものだから、
百聞は一見にしかずのものは、
言葉で言うよりも見せたほうが速く伝わる。
「見ろ!あいつらは銃を持っている!」
という説明台詞よりも、
あいつらが威嚇射撃をする方がよっぽど速く、恐怖を伝えられる。
餅つきの仕方を言葉で説明するより、
やって見せた方がわかりやすい。
で、本題。
説明をすることで何を達成するべきかなのだ。
その内容を理解しておしまい、では、
物語における説明の役割を果たしていない、
ということが重要だ。
そのことを理解したとして、
「何をするべきか/すればいいか/しなければならないか」
に繋がるかどうか?
なのである。
あることを理解しました。
で?
になることを避けよう、ということだ。
僕はあなたが好きです!
はいわかりました、で?
になってはいけない。
僕はあなたが好きです!恋人になりたいです!
僕はあなたが好きです!舐め回したいです!
僕はあなたが好きです!殺していいですか!
のように、
「反応(リ-アクション)を促す何か」
がないと、
説明があるだけ無駄なのだ。
ダメな告白が成功しないのは、
「で、何をすればいいか」
「なぜそれをしなければならないか」
がないからだ。
相手も自分にある程度好意があり、
明日デートしませんかならば、
「はい」と言いやすい。
自分の気持ちを説明しておしまいでは、
ストーリー(=展開)が生まれないのである。
つまり、うまい説明とは、
決して説明そのものにあるのではなく、
説明がターニングポイントになっているかどうかで決まる。
「そのことを知ったからには、
行動Aをする必要がある。Bゆえに」
ということがあるかどうかなのだ。
(もちろん、
「そのことを知ったからには、
AかBかCをしなければならない。
しかし現段階ではわからない」というハング状態を作ることも、
以後の展開を作ることもできる)
あなたの説明は上手かい?
その説明を聞いた登場人物は、
「で? 俺は何をすればいいんだ?」と聞くか?
それとも、
「じゃあ、俺は○○しよう。たいへんだな」と言うか?
前者が下手な説明で、
後者が上手な説明だ。
そして、この説明を聞いたあなたは、
自分の書いた説明場面や、名作の説明部のあとをチェックする。
構造を把握するために。
行動を促し、その理由が自明な説明が、正しい説明だ。
2019年12月11日
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