これは経験則として分かっていることで、
これを理屈を立てて説明してみよう。
なぜ頭から書くと良くないのか。
僕は必ず頭とラストを作り、
その間をなるべく作ってから、
やっと描き始めろと警告している。
「頭から書かないと良くイメージできない」
「頭から書いてはじめて生き生きと書ける」
「頭から書かないと、自分も結末を分かってないので、
観客の気分でドキドキしながら書ける」
などという反論がある。
もしこの頭から書く方法論で、
毎回名作を生み出している人がいれば、
特に以下は読まなくて良い。
しかし殆どの、おそらく99%以上は、
この理由で書くと挫折する。
頭から書かないとイメージできない人は、
結末までイメージする能力を鍛えるべきだ。
生き生きと書くのは執筆時であって、
それとは違う、プロット段階をマスターするべきだ。
(具体的な感情よりも、俯瞰した全ての時系列で考える訓練)
能力が足りてないことを言い訳にするべきではない。
能力は鍛えられるし、
そうして能力を伸ばそう、
というのがここでずっと論じていることだ。
で、
頭から書く方法論では、
必ず途中で「これ面白いのかなあ」
と疑問に思うことが発生する。
大抵は最初に思いついたことを全部書き終えて、
次どうしようかと勢いで書きはじめたはいいが、
最初のドキドキほどうまくいかなくて、
「あれ?最初ほど面白くないぞ」
と疑問に思ってしまう時に起こる。
じゃあ、
「頭と尻をきちんと考え、
間も埋めた上で、はじめて書き出す」
という方法ではそれは起こらないのか?
いや、起こる。
しかし後者の方法論では、
リカバリが効くよ、というのが本題だ。
どういうことか?
後者の方法論で、
「これ本当に面白いのか?」と疑問に思った時、
地図を俯瞰して見ることが可能になる。
「これがこのままいくとこうなり、ああなって、
最終的にこうなるのか」がわかる。
そうすると、
「今は面白くないパートだが、
あと2ページもすれば面白いパートに突入するので、
緩急になっているのだ」
と理解することが出来るのだ。
全ては緩急だ。
フルスロットルで最後まで駆け抜けるストーリーはない。
急に展開したり、
落ち着いて休んだりしながら、
徐々にクライマックスへと向かって行く。
2時間かかる映画は、その集中力の休憩をも考えるべきだ。
(短編15分ですら、緩急は存在する)
だから、
「今面白くないパートで、その後面白くなる」
という確信さえあれば、
「これ本当に面白いのか?」にたいして、
「トータルで面白いんだよ」と答えられるわけだ。
さらにいうと、
「トータルでも面白いし、
今このパートでも面白いように、
思いつこう」と、
前向きなリライトを、その場でできるのである。
トータルの面白さが分かっているから、
「それと違う今だけ面白いもの」
を思いつき、今書いているところに入れ込むことが出来る。
こうして、今も面白いしトータルでも面白い、
が実現するわけだ。
頭から書いていく方法では、これが出来ない。
トータルで一体どういう面白さに落ちるのか分かっていないから、
場当たり的な面白さに依存することになる。
それが紆余曲折を生んだとしても、
トータルで見れば不要な遠回りであったり、
最終的にそうするならもっと良い方法があるぞ、
などと気づかれてしまう。
それに、
場当たり的な面白さばかり重ねていると、
「これ本当にトータルで面白いのか?」
という新たな疑問に取り憑かれる。
頭から尻まで出来ている場合は、
「いや、これはトータルでこういう面白さがあるので心配ない」
と確信的に答えられるのに、
頭から書くとそれが不安になるのである。
もっとも、
頭から尻まで作ってから書きはじめても、
「これトータルでも面白くないんじゃないか」
と疑心暗鬼に陥ることはよくあることだ。
しかし、
「少なくともこの面白さに落ち着く」が分かっていれば、
それ以上に足したり飛ぶことは出来る。
つまりベースがあるかないかということだ。
このベースは貯金に似ている。
貯金があれば冒険できる。
持ち金0ならば次何をしていいかわからなくなる。
「少なくともトータルでこう面白い」があれば、
あとは冒険して足していく一方だ。
(多少失敗しても、トータルの貯金はある)
結末が決まっていないと、
冒頭で稼いだ貯金が途中で無くなると、
「明日からどうしよう」ばかり考えてしまう。
つまり不安を抱えることになる。
生活がかかった週刊連載漫画家は、
それでも突っ走ることになる。
(で何かしらのブレイクをすることもある)
だがもっと長期的なスパンで執筆する脚本は、
「うーん、だったら辞めてしまおう」に陥りがちなのだ。
週刊連載よりも、立ち止まって考えてしまいがち、
というわけだ。
この時に、貯金がないと、
「これ以上は損しかない」と思いがち、ということ。
結末まで決まっている貯金があれば、
「まあ最後まで書いてみるか」
と思いやすい、ということ。
不安や疑心暗鬼とどう戦うか。
それが起こらないということはない。
執筆をする者全員にこの嵐は襲いかかってくる。
慣れでカバーできることもあるが、
慣れてない者は難破する。
この不安への付き合い方を知ってないと、
難破を避けることは難しい。
頭から書いて挫折した経験のある人は、
その方法論が向いてなかったのだ。
異なる方法論、
つまり、
「頭から尻まであらすじをきちんと作り、
間も大体作っておき、
これらがどう結末を迎えるかまで出来ていることで、
これはこのような価値やテーマのある物語であるから、
良い」
というところまで出来てから、
ディテールを作っていく、
教科書的な方法論を試すべきである。
これは頭から書いていく方法に比べ、
とても地味でしんどいし、
華やかさがあまりにもなくて泣きたくなる。
書く興奮もドキドキもアドレナリンもない。
しかしそれが執筆の正体であることは、
経験者全員が知っていることだ。
その代わり、最後まで書ききれた時、
頭から書いていく以上のアドレナリンや興奮や満足感が、
一気に襲ってくるよ。
僕は初めて最後まで書けた長編は、
あまりにも嬉しくて胸に抱いて寝たもの。
頭から書くと、途中で飽きる。
飽きの裏には、不安や疑心暗鬼があることに気付こう。
それは完成の満足から、とても遠い感情だ。
2019年12月21日
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