2019年12月26日

一発屋をめざすな

脚本家の人生として。
劇中の人物として。


「一発で成功する」は悪魔的な魅力がある。
全肯定される感じがあり、
大逆転の感じがある。

みんな俺を理解しなかったけど、
ほら、俺には才能があったんだよ!
と、どん底から頂点への駆け上がりがある。

つまり悪魔的魅力だ。
そんなの現実にはないからだ。


もしあなたが処女作でグランプリを取り、
アカデミー脚本賞を取ってしまったとしよう。

つぎは?

どうやったってそれ以上のものを書けない。
だって「なぜ成功したかわかっていない」からだ。
いや、成功は偶然だから、わかってなくても構わない。
「失敗をどうリカバリーして成功に導くか」
ができてないと、
何書いても失敗しかない。


人生は長い。
あなたが一本の脚本を書き、
映画が作られ、公開されるより長い。
若者はついそのスパンで見るが、
仕事として脚本家を選ぶのなら、
定年退職までつづくぞ。

何年かで稼ぎ切るほど、脚本はギャラを貰えない。
以前も書いたが、ドラマ風魔の小次郎の脚本印税は、
4巻1セットで缶コーヒー一本ぶんだ。
10万部売れれば大ヒットの世界で、それでも1000万だ。
一生で稼ぐ額ではない。

つまりあなたは、
何本もヒット作を書き、
それ以上の失敗作を書き、
それ以上に失敗を小成功に直したものを、
書かなければならない。

それでトータル勝たないといけない。


それには、一発屋ではだめだ。


沢山失敗した経験や、
それをリカバリーして成功に導いた経験や、
リカバリーがうまくいかなかった経験や、
単にすっと成功した体験を積まなくてはならない。

それを経験してない人ほど、
「たった一回の成功体験で突き抜けられる」
と間違った思いを抱えている。
それは若者がまだ人生を生きてないから信じられることだ。
一回成功しても何も得られない。
天狗になっておしまいだ。
成功体験は、何度もするものだ。

昔、あるいは現在、
友達や身近な人に見せて褒めてもらった、
ような成功体験を持つ人もいるだろう。
だからもっと褒められたいと。

そんなものを何回も積んでおきなさい。
誰からも褒められないが自分はおもしろいと思っているなら、
ネットに上げたりコンクールに出しなさい。
誰かが見つけてくれたらラッキーだ。

しかしそんなものはあんまり意味がない。
意味があるのはたかが数回の成功体験ではなく、
百万回の失敗経験と、
一万回のリカバリー経験だ。

長い脚本家人生の浮き沈みを支えるのは、
この、溺れても浮き上がる力だ。

一発屋ではこれを鍛えることができない。



映画とは人生の一部である。
人生のシミュレーションが映画だ。
だから、
失敗してない人の書く話は、
失敗をリカバリーしてない人の書く話は、
一発屋の話にしかならない。

たとえばスターウォーズ9は、一発屋の話だ。
レイはただ目覚めるだけでおしまいで、
浅くてしょうがなかった。

2時間かけてじっくりと成功を描くには、
我慢して我慢して覚醒しておしまいのストーリーは、
全然面白くない。
成功したり失敗したり、リカバリーしたり、
失敗の中にヒントがあってそこから立ち上がったりと、
紆余曲折とアップダウンがあるべきだ。

一発屋をめざす人は、それを書くことができない。
すぐ成功しちゃう。
すぐ大逆転しちゃう。
だからつまらない。



一発屋は、だから悪魔的な魅力である。
囚われたら負けだ。
「楽」なのも悪魔的な魅力だよね。
王道が地味でつらくて時間がかかることを、
ひょいと乗り越えたい誘惑があるからね。

エミネムの「8マイル」の主題歌に、
「If you have one shot」
と、人生で一発だけ弾丸を打てる権利があるとしたら、
どこで打ってキメるのか、
みたいな歌詞がある。

「リングにかけろ」のラスト付近のテーマも、
「人は長い人生の中でたった一日だけ、
この日の為に生まれてきたという日がある。
そこで輝くことだ」
というほぼ同じことを言っていた。

つまりこの悪魔的な魅力を、
「物語」に応用している例がある。
本当にそうかどうかはおいといて、
物語の中では魅力を放つ考え方になるというわけ。

そして現実は物語と違うので、
そんなにはうまくいかない。
失敗は必ずある。
試しにやってみて、その失敗から次の成功の鍵を見つける、
その繰り返しが成功への道だ。


どうやって失敗して、
どうやってリカバリーするか?

沢山書くしかないのだ。
長いのは大変だから、短いやつを沢山。
5分の話を100本書こう。
15分の話を30本書こう。
30分の話を13本書こう。

そして、失敗したりリカバリーしたりしよう。

あるいは、
映画を見たとき、
面白ければ、なぜそれがおもしろいのか分析しよう。
詰まらなければ、なぜそれが詰まらないのか分析し、
どうすればおもしろくなるかについてリカバリーしてみよう。
僕が普段批評でやっていることだ。
そもそも面白い/面白くないの眼を養うために、
名作を沢山見よう。
古典を見るべきで、たとえばビリーワイルダーを見よう。
(もし改良するべき点があれば、どうするかも考えよう)


あるいは、
人生でも沢山失敗して、リカバリーしよう。
実体験が一番強い。
部屋に籠ってる場合ではない。
若いうちは暴れよう。
おじさんになると体力がもたない。
くだらないことで遊びたい。
三食天下一品で京都中の天下一品を食い尽くす、
なんて学生の頃しか出来なかった遊びだわ。
(一応全店やりました。移動はオールチャリ)

何かに繋がるから何かをするわけではない。
その無駄こそがリカバリー能力を育てる。
最短距離で失敗したら、
何をしていいかわからなくなる。

七転び八起きは実在する。
人生がそうだし、
物語の中がまずそういう構造なので。
posted by おおおかとしひこ at 10:42| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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