2019年12月23日

出オチ、テーマなし、ニューエイジ(「スターウォーズ9」評2)

みっつ書くべきことがある。
出オチと、テーマがないことと、ニューエイジとの関係性だ。

以下、完全ネタバレで。


出オチについては、「キン肉マン二世」が失敗したことと同じ理由だと考える。

つまり、
僕らのテンションが上がるのは、
旧作の要素が出てきた瞬間で、
いまの要素にではないことだ。
ルークのXウィングが出てきたり、
レイアのライトセーバーが出てきたり、
ヨーダの声が聞こえたり、
デススターの残骸があったり、
ラストの朝日が二重星になっていたり、
そうした「旧作とのリンク」を感じた時だけ、
私たちのテンションが上がる。

それは現在のレイやポーやフィンのドラマが、
それだけ薄いということだ。
薄いなら、それなりに濃くしていくべきなのに、
旧作の出オチに頼ることで、
ますます薄くしていることになる。

キン肉マン二世の失敗は、
二世たちのドラマが薄く、
ラーメンマンやロビンが出てくることに面白さの大半があり、
それが出オチに過ぎなかったことにある。

それとまったく同様の構造をしているわけだ。

だから、ファンは喜ぶ。
あれのあれがこれで、とか。
黒人の将軍のような人も、おそらく旧作にいたキャラなんでしょ?
僕は分からないが、ファンは良く出した、などと思っているんだろう。
そう。「出た」で感動が終わっているのだ。
それが問題だ。

ストーリーは「出る」という点ではない。
出たあと、どれだけ何をしたか、
それにどのような意味があったのか、
という線のことである。
出オチはストーリーという線ではなく、
ただの点だ。
ワンシーンあればよい。
極論、ワンカットあればよい。
そして、ワンカットは、ストーリーではない。

つまり、この映画のテンションは、
出オチの点でしか上がらず、
ストーリーという線であがることはない。

誰も世界に二つあるという、
ルートファインダー(みたいな名前の、
古典的な羅針盤の代り)にハラハラすることはない。
それを是非とも手に入れ、
それを手に入れた時、最高にうれしいとは思わない。
それはマクガフィンであり、
感情移入の道具にもなっていない。

つまり、ストーリーを進めるための仕組みはあるが、
だれもそれを本気で心配していない。
「果たして、ルートファインダーは手に入るのか?」
でドキドキしない限り、今回のストーリーに、
思わずのめり込んでいる、とは言えない。

つまり、誰もこんな陳腐なストーリーに、のめり込んでいない。


出オチ祭りばかりだとしても、
ストーリーがしっかりしていれば、
ストーリーに乗っかり、かつ出オチを楽しむとことができる。
しかし、しっかりしていないストーリーだった。
その証拠に、
相変わらずの問いを問おう。
「このストーリーのテーマは何か?」だ。

これにこたえる、明確なストーリーラインはなかった。

レイは自分探し。
ポーは過去の女との再会。
フィンはレイへの片思いと、同じ境遇の女との出会い。
これらが三者のメインストーリーラインだが、
これの何が面白いのだ?
それは、テーマに結び付いていないからだ。
テーマに結び付いていないから、
勝手にやってれば?としか思えない。

新新三部作を追っかけて来たが、
毎回思うことがあって、
「何故帝国に勝たないといけないのか?」
が分からないんだよね。

帝国が虐殺しているとか、
人類が許しがたい何かをしているとか、
帝国が悪である理由がひとつもないんだよね。
戦争には理由がないものかもしれないが、
これはスペースオペラなので、
分り易い対立軸が必要だ。
悪対正義だ。

帝国は悪っぽい恰好、
反乱軍はネイチャーっぽい恰好。
それだけ。
理念があるわけでもないし、主義主張があるわけでもない。
だから、
我々は、何に加担して見ればいいのかが、
まったくわからない。
彼らが最も問題にしているセンタークエスチョン、
「戦争に勝利すること」に、
なんの感情移入も出来ないのだ。
だから、面白くない。

ナチスがガス室をつくり、罪もない人々を虐殺している。
しかも魅力的な演説をして、大衆の心理を操作している。
そういう分り易い悪があるから、
「ゆるさん!」と正義が盛り上がる。
勧善懲悪とは、そのようなものである。
新しい悪と、新しい正義が、古典的な枠組みを新しく見せる。

今回、
レイはパルパティーンの孫であった、
というのは、
衝撃のための設定に過ぎなかった。
なぜ彼女はパルパティーンの側につかず、
反乱軍側についたのか、
理由が分からなかった。
パルパティーンは黒いフードを被り、悪っぽい恰好はしていたものの、
ひょっとしたら正義の人かもしれないのに。
彼自身は、物語中に、悪いことは何もしていない。
ビジュアルで差別しているのではないか?

だから、センタークエスチョンが、
空虚なんだよね。
何も盛り上がらない。

なぜ反乱軍に協力して、
最後に味方が沢山やってきたのかも、
まったくわからない。
正義を成すために集まってきた、ならとても感動するが、
少なくとも劇中では、
反乱軍が正義であることは分らないからね。
重ね重ねいうが、
ビジュアルで差別化しているだけだ。
ネイチャーっぽい方が悪かもしれないのに。


そういうことで、
戦争が、ビジュアルの為の道具でしかなく、
「なんのためにこれがあるのか」に答えられないものになっていた。

スターウォーズのテーマってなに?
三代続く、勧善懲悪?
ダースベイダーは悪いことしたんだっけ?
帝国は何か悪いことしたっけ?
なぜそれを倒すことが、
いいことなんだっけ?

勧善懲悪じゃないとしたら、なんだ?
何かあったっけ?
アイデンティティー?
「I'm your grand father」がやりたかっただけだよね。


で。
アイデンティティーだとしたら、
ラストの朝日の意味が、
とても安っぽいものになる。

70年代のニューエイジの話をしないといけない。
つづく。
posted by おおおかとしひこ at 14:40| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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