「デザイン」という言葉がどれだけ誤解を受けているのか、
とあるツイートの引用で示そう。
>先日読書会で訪ねたキッチンスタジオ、すべての機械がオシャで固められてて、全部がデザイン優先で分からないセブンカフェみたいなUIしてて凄かったので「デザイン優先で押しにくいボタン」を思い出した
これはデザインの失敗したデザインだ。
以下、話がややこしくなるため、
出来上がったもの(成果物、出力)をデザイン、
設計をデザイニングということにしよう。
オシャレかどうかの見た目のガワは、デザインだ。
それが機能するかどうは、デザイニングで行われる。
そう考えると両者を分離できる。
実のところ、designが動詞と名詞が同型なのが、
ややこしさの原因である。
英語ならば格構造があるため、
動詞と名詞が同型でも区別できるが、
膠着語構造の日本語では、
両者がほとんど区別できない。
なので、デザイン(名詞)と、デザイニング(動詞)に、
便宜上わけてみた。
そもそも機能しないのは、デザイニングが間違っている。
セブンイレブンのコーヒーサーバーは機能が全く分からないことで有名だが、
これのデザイナーは佐藤可士和だ。
僕の大嫌いなデザイナーの一人だ。
彼の「デザイン」は、
デザイン優先でデザイニングがなされていないからだ。
デザイナーは、デザインをする人で、
デザイニングをしない人だと世間では考えられている。
デザイニングされた設計仕様書があり
(セブンの例でいうと、
ここにこういうボタンがあり、ここに出口があり、
ホットとアイスがあるなど)、
見た目のガワの絵を描く人だと思われている。
実はそうではない。
デザイナーとは、デザイニングから関わる人の事をいう。
デザインは末端でも出来る。
なんなら、デザイニングだけやって、
デザインを下っ端に投げるデザイナーも存在する。
それでも「これは私のデザインである」という。
この場合の「デザイン」とは、デザイニングを指すわけだ。
セブンイレブンのコーヒーサーバーのデザイニングの最悪さは、
RとLの分からなさに尽きる。
RとLの対は、普通RightとLeftの対で使われる。
イヤホンとかね。
RegularとLargeだと分かる人はいない。
(しかもRが左に、Lが右にあるのが混乱を加速させる)
これを、
「RLではわかりにくいので、
ML表記に変えましょう」
というのがデザイニングである。
MidとLargeなら大体想像できるからね。
そして、
「MLのオシャレなフォントやボタンの形の絵を描く」
が、デザインだ。
あるいは、
「小さなコーヒーカップ型のボタンと、
大きなコーヒーカップ型のボタンにしましょう」
という解でもよい。
こう発想することがデザイニングで、
具体的なコーヒーカップの絵を描くことがデザインだ。
デザイニングとは、つまり動線設計やどう認識させるかも含む。
館内表示板などはデザインの基本だが、
「どこにそれらを配置して、
今ここにいてそこへ行けばなにがあるかをどうやって分からせる」
かがデザイニングで、
具体的な矢印やアイコンのピクトグラムはデザインだ。
デザイナーはピクトグラムの絵を描くことがフィニッシュの仕事だが、
それよりもデザイニングの仕事の方が重要で、
それが仕事の9割だと言えるだろう。
UIの設計などがよく例に上がるが、
動線や認識をどう捉えるかがデザイニングで、
これをこの色にしようとかこんな形にしようとかがデザインだ。
「センスのいいデザイン」と日本語でいうとき、
ほぼ後者しか言われない。
そして、セブンイレブンのコーヒーサーバーを見る限り、
佐藤可士和はセンスのいいと言われる、クソデザイナーだ。
(僕は彼のデザインも、デザイニングも、
センスがいいと思えない)
「オシャレは機能性を我慢する」なんて誰が決めたのだ。
機能が死んだらデザインちゃうわ。
機能が優先されてデザインがダサいのもダサい。
デザインが優先されて機能が死ぬのもダサい。
デザイニングとデザインの両者が素晴らしいものが素晴らしい。
オシャレは、デザインの半分が合格なのにすぎない。
さて、ここは脚本論なので、
これが脚本でも同じだということは、
既に察せられるかと思う。
シナリオとは、
どんなシチュエーションで、
誰が、どんなセリフをいい、どんなことをするか、
その順番、
がデザインの全てだ。
しかしそれは仕事の1割で、
残り9割は、もっと別のことに使われる。
それがテーマとかプロットとか構成とか、
動機とか動線とかである。
設定は?僕は1割の中に入ると思うよ。
デザインは、見た目のことだから誰にでも言える。
デザイニングを語る言語はない。
だから、ほとんどのプロ以外の人は、
デザイニングが何をやってるかわからない。
僕は数学者に似ていると思う。
解のないところに、解を創作して、
それが無矛盾であることを確認することがだ。
2019年12月25日
この記事へのコメント
コメントを書く