前記事の続きを批評ではなく脚本論として。
つまり、
シナリオとは、
「重要な場面を、出来のいい、記憶に残る、
強烈でオリジナリティのあるエピソードで示す」
べきだ。
それができていないのなら、
シナリオとして失格だ。
構成やプロットが出来たとしても、
実際の場面が、
面白くなく、ただの説明で、
印象に残らない平凡な場面ならば、
それは出来が悪いシナリオだ。
たとえば「主人公がヒロインに恋する」場面がプロットにあるとしたら、
オリジナリティのある、
人に恋する瞬間のエピソードがあるべきだ。
(大昔の、「人が恋に落ちる瞬間を、
初めて見てしまった」はよかったよね。
ハチミツとクローバーだ)
その時の登場人物の心の動きに、
私たち観客が思わず同じになるようなもの。
それが良く出来た場面である。
そしてそれは、
これまで良くあるような平凡なものであってはならない。
物語とは人生であり、
新しい体験こそが人生だ。
ある場面は、新しい経験でなければならない。
中学生や高校生がしょうもない映画でも興奮できるのは、
人生経験や物語経験が少ないからだ。
「これは平凡な場面である」と思わずに、
「はじめて!」と思うから新鮮なのだ。
ここを読んでる人は流石に中高生より経験があると思うので、
中高生を基準にしてはいけない。
自分自身や、映画史を基準に考えるべきだ。
極論するが、
「主人公は恋をして、その人と結ばれる」や、
「主人公は悪を倒す」という同一のプロットに対して、
全く違う場面の、新しいストーリーが作られ続けている、
といっても過言ではない。
新しい恋の落ち方、新しい恋の実り方、
新しい悪、新しい悪の倒し方、新しい正義の味方、
これらについて、
強烈でオリジナリティがあり、
記憶に残る新しい絵的な場面で、
我々の感情を新しく大きく揺さぶるものだけが、
良いストーリーだと言われるだろう。
いかに構成やプロットがしっかり出来ていても、
そもそもこの場面が面白くなければ、
ただの説明書きにすぎない。
映画は体験であり、説明の理解ではない。
それが恐怖の場面なら、
登場人物より観客のほうが恐怖を覚えるべきだ。
それが爆笑の場面なら、
登場人物より観客のほうが爆笑するべきだ。
それが心震える場面なら、
登場人物より観客のほうが心震えるべきだ。
そのオリジナルで強烈な場面を作れるかが、
シナリオの勝負だといえる。
スターウォーズ789のシナリオが全く面白くないのは、
下手くそだからだ。
出落ちの部分はうおおおとなるが、
それは旧作とのリンク場面ばかりで、
なにひとつ789オリジナルではない。
唯一オリジナルでよかった場面は、
8の紫の髪の艦長が犠牲になって突っ込むところかな。
あとレイがフォースに目覚めて岩をどけるところもか。
これは今までないオリジナルの場面だった。
だから記憶に残った。
これらのようなものが、
全シーンに渡ってあるべきで、
少なくとも重要な場面は全てそうあるべきだ。
「出生の秘密を知る」というよくある場面を、
新しくオリジナルな場面に仕立てるなら?
「結婚式」という、以下同。
「殴り合いで決着」という、以下同。
「犯人は○○だ」という、以下同。
シナリオライターの初期の頃は、
「今まで見たよくある場面を、
自分の筆で再現する」ことに興奮を覚えるものだが、
それは「平凡な再現フィルムを作っている」
にすぎないことを自覚することだ。
勿論、一回やってみたかったことをやってみて、
それを血肉にする過程としてのそれならばやるべきだ。
しかし一回やったことはもう通用しない。
あなたは、
それを、「別の方法」で表現しなければならない。
そこでようやく創作のスタートラインに立ったと言えるだろう。
つまり、SW9のシナリオは、
創作のスタートラインに立っていないシナリオだ。
じゃああなたなら、
どうオリジナルな場面に書き直すか?
それを妄想するのも立派な練習だ。
なぜなら、
あなたのシナリオでも、
同じやり方で場面を作っていくことになるからだ。
あるストーリーを表現するために、
構成やプロットがあり、
それを平凡でない、新しくて強烈でオリジナリティな場面にする。
それをやり続けることが、
シナリオを書くということだ。
昔見たものを再現してキャッキャ言ってるのは、
「ごっこ遊び」という。
2019年12月25日
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