エンジニアの世界の話だが、映像もものづくりだ。
共通点がありすぎてはらわたが煮える。
https://mobile.twitter.com/yoshimatsuTUQ/status/1209547632974028800
プロデューサーがディレクターを経験するべき、
というのはテレビの現場の常識だが、
今映画会社はそうではない。
映画会社は企画と配給しかやってない。
脚本を書いたこともないし、
現場に出なかったりする。
(少なくとも10年前の角川映画はそうだった)
だから脚本会議で、
「これとこれの順番を入れ替えたほうがわかりやすい」とか、
「これとこれを統合してそのかわりこうしよう」
なんて意見を言えるプロデューサーはいなかった。
「ここはお金がかかるから減らしてください
(どれくらいに減らせとは言わない。
わからないからだろう)」
「ウケる要素を入れてください
(それでシナリオの本質が変わることについては責任を負わない)」
としか言わなかった。
で、制作部が作り上げた成果物は、
宣伝部に渡されたら、
宣伝部の実力の範囲内でしか宣伝レベルが保てない。
あげくトンチンカンな宣伝になったり、
堂々とネタバレする恥になったり、
原作ファンが腹が立ったり、
心に響くコピーなぞかけなかったりする。
「宣伝のことは宣伝部に任せろ」と言われたが、
心に響いた宣伝だったろうか?
それをみて「良さそうだ、ぜひみなければ」となったか?
下流の現場、つまりカメラマンや美術や監督が、
「映画をつくる」。
プロデューサーは発注して製品を受け取り宣伝部に流す。
その上流の仕事が、僕には不明だった。
プロデューサーって映画を作ってると言えるのか?
俺一人で出来そうだとすら思った。
宣伝部の仕事もだ。
いつか会社でも作って証明しようとも思ったが、
僕は作品作りをしたいので放っている。
CMの現場でも同じだ。
かつてはCMプランナーはラジオCMを作り、
「お話作り」の基礎が叩き込まれていた。
今いきなりコンテを書いて監督にわたすだけ。
何も心に響かないコンテを、
監督は心に響くように作り直す。
(「プロの現場から」シリーズの、NHKのオリンピックCMをご覧ください)
お話の形式をしていればこちらも闘いようがあるが、
クライアントの言いたいことだけを並べた、
オリエンを絵にしただけのものを渡されてもね。
出版はどうだろう。
編集者が自信を持って作家の出した原稿に赤を入れられるか?
「フォロワー何人います?」から入る馬鹿もいると聞く。
上流は下流のような実力がない。
適材適所?
下流の実力以上の上流がない限り、
下流に舐められんぞ。
おまえらいらないんじゃないか?
現場が混乱するためだけに来てないか?と。
オリンピックを見てもそれが顕著かもしれない。
手足のない脳が考えたことが、
「入り口に朝顔を置きます!
(朝しか咲いてないし、会場内には置かないけど、
精神的に涼しくなります!)」
だからな。おまえ設計図読んだのかよ?
その極まりとしか言いようがない。
日本のビジネスは、もはや構造的に瓦解を始めているのだろう。
今は戦後と同じだ。
戦後は建物が瓦解していたが、
今はシステムが瓦解している。
瓦礫を片付けることなく、
新しいシステムを仮想空間に作ったITが、
新しい上流になったのは当然ともいえる。
さて。
我々は瓦礫をどう生き抜くべきか。
新しい会社を作ればいいのかもしれない。
経営ってどうやればいいんだろ。
2019年12月26日
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