すぐに考えればわかることだろう。
ディストピアものに必要なのは、
荒廃したとか、絶望的な世界だ。
それが主人公たちを不幸にしていて、
それを変えようとしたり、脱出しようとするのが、
たいていのストーリーラインになる。
つまり、不幸はじまりだ。
そこから幸福になろうとするのが、
ディストピアものの基本だ。
(その結果、不幸で終る、絶望的なバッドエンドで終るものもあるが)
つまり、「不幸から幸福になろう」とするエネルギーこそがストーリーの原動力だ。
逆ではない。
ユートピアものがストーリーになりにくいのは、
幸福からはじまるからだ。
幸福の絶頂から始まったら、あとは落ちるしかない。
失楽園とか、結局不幸になるだけだ。
もっとも、ユートピアを求めて最後にゴールにたどりつくものや、
ユートピアだと思っていたのは実は地獄だったのだと分る話とかは、
ユートピアを扱いながらもストーリーになりえる。
しかし、ただユートピアで幸せに暮らしました、
だけでは物語にならない。
状態は物語ではない。
ある状態から別の状態への移行が物語である。
ユートピアは他の状態への移行の理由がない。
二次創作やショートストーリーではこの限りではない。
推しと推しがいちゃいちゃするだけの場面を見たいなら、
それはユートピアだろうからだ。
(もちろん、山なし落ちなし意味なしになる)
つまり、ユートピアはストーリーを生まない。
ある意味死だと言える。
逆にいうと、生とは、転落または駆け上がりのことである。
あなたはディストピアを書いてもよい。
ユートピアを書いてもよい。
ただしユートピアは、ストーリーになりづらいから工夫がいるだけのことだ。
2019年12月27日
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