続き。
面白い事件Aを思いついても、
そこから解決へのルートBを作った時、
急に面白くなくなる現象。
それは解決出来るレベルにAが落ちてしまうからだ。
ということは、
もっと面白いBを思いつくことが使命になるわけだ。
Bは解決可能な問題だ。
問題と解決のペアがはっきりしていて、
分り易いものになっている。
近年のディズニーの脚本は、
こうしたスタイルを取られていることが多いと思う。
「ブレイクダウン」という手法で呼ばれていることが多いと思うが、
面白そうだが解決の思いつかない問題Aを頭で提示しておいて、
それをまだ解決できそうなBへグレードを落とし、
別の問題をクリアすることを目的とさせて、
それをさらに解決できそうなCへ落とし、
さらに解決できそうなDへ……
などのように、力業で段階を作っているような印象がある。
(ちゃんと分析したわけじゃないが、なんとなくで言っている)
とくにストーリー部門に多くの人が参加している、
複数共同脚本スタイルに多いように思う。
「いま面白い問題Aが出た。
パッとはこれからが思いつかないが、
もうすこし解決可能な問題に落とそう。
じゃあ、みんな考えて」
と無茶ぶりをして、
会議室で一斉に考えさせ、
面白くなりそうなBを出したやつが採用、
なんて感じで作っているように見受けられる。
だから、先が読めず見ている途中は面白く見れるが、
しかし終わったあとに、たいしたものが残らない感じがある。
それは、結局、
「なんだかわからない地図を、目的だけ追っかけたお使いゲーム」
のような構造になっているからだと思う。
要するに、全体をまとめる必然性が弱いように思う。
そりゃ場当たりで作っているわけだから、
そういう全体を俯瞰した美しい構造にはなっていないだろう。
アベンジャーズの脚本も、そうした部分が多かった。
たしかに先は読めないが、
良く考えると、場当たりで考えたような、
次の目的へ動くことを繰り返して尺を埋めているような感覚がある。
それは、「俯瞰でものごとを見る」ことから、
遠ざけて夢中にさせるような方法論ではないかと思う。
この手法が有効なのは、
複数の頭脳が使える、多点探索問題になっていることだ。
誰か見つけたやつが、次の流れになっていく。
悪くいうと、つぎはぎになっていくということ。
「解決できる問題Xに辿り着くまで、
面白いことが繋がって考えられる」
やり方ではあるが、
あまりに刹那的になっているような気がする。
逆に言うと、物語とは、
刹那的な快楽(微分要素)以上の何か(積分要素)が必要である。
これら全てをコントロールし、
俯瞰で見ても美しい構造で、
砂被りレベルで見ていても引き付けられるものを、
作り上げることは大変難しい。
ハリウッドが複数人脚本を採用しているのも、
微分的、刹那的でもいいから、
面白いAから始めるべきだ、
と考えている証拠だろう。
しかしそれでは結局、
「最後まで繋がる場当たり」しか生まないのではないかと考える。
引きが強く、興行初期で稼ぎ、満足度もそれなりに高い、
という方法論になってしまうと思う。
それは、ずっと価値があり続ける芸術とは、遠い存在になるような気がする。
芸術というと難しい議論に思えるが、
実際のところ、
「世間の価値観を変える何か」と言い換えると、
分り易くなると思う。
映画や物語にはその力があり、
それはテーマ性や、そこに落ちる落ち方の出来に左右されると思う。
金は動くが心や人生観が動かないものは、
薄っぺらいと僕は思う。
しかし、Aを思いついてしまい、
うまくBを思いつき、Cを思いつき……
最終的にうまくテーマに落ちるような、
そんな連鎖を作ることは、
どうやって可能になるのだろう?
訓練の仕方は、以前紹介した、
テヅカチャートがよいと思う。
「ある状況から起こる面白い事」を5個考えることと、
「その状況の前に何が起こったか」を5個考える訓練。
それに慣れてくれば、
その5個ずつをさらに未来と過去を造るという、
無限の訓練だ。
そのうち、ひとつでもうまく落ちて完結したやつが、
実際に書かれるストーリーになるということだ。
面白そうだが、その先が出来ない人や、
Bには落とし込めたが、それがたいしておもしろくない人は、
前後を訓練して、面白く、かつケツを持てるような、
BCD……の連鎖を組めるようになっていくとよいだろう。
これらは時間的な訓練だ。
空間的な訓練には、
立場を変えるとどうなるかとか、
アンチテーゼを変えるとどうなるかとか、
人間関係を変えるとどうなるかとか、
そうしたことが関わってくる。
それらの、空間時間の出口が、
テーマに落ちて、永遠に人を変えることだ。
どうケツを持つのか考えることは、
その人の思想や思考の変化にも責任を持つことである。
そこまで深く考えていないかもしれないが、
名作にはそうした構造が、その作品特有の個性としてちゃんとある。
2019年12月31日
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