2020年01月02日

どのバージョンの続編より面白かった(「T3」評)

ついつい最後まで見てしまった、リアタイ以来のT3。
その後のどのバージョンの続編より、
きちんとできていた脚本だ。
問題はなんだろう。


TXが不細工だったことに尽きるのでは。
あとどう見てもちんちくりんなのがな。
最新バージョンの女ターミネーターみたいなのだったら、
神作品(に一歩届かなかった)として高評価されていただろう。
あとジョンコナーのブ男ぶりか。
線が太すぎる。
もっと繊細な感じがあれば、
エドワードファーロングが落ちぶれたように映ったかもなあ。

ストーリー上は、
一点だけ瑕疵がある。
シュワにドラマがなかったことだ。

T2ではマシンは感情を学習できる、
というドラマがあった。
それを超えるなにかを僕らは期待していた。

T2の個体とは違うT1000というのは良いから、
以前と違ったドラマがまたあれば、
よかったのになあ。

未来のヨメが送ってきた、
ジョンは死んだから、
という設定は物凄く面白かったのに、
それがシュワのドラマに活かせていない。
(というか何もなかったしな)

このシリーズでは、
「未来に起こること」は一貫して「誰かの話の中」でしか出てこない。
そこに想像力をフルに使うところが面白いんだよね。
だから、トレーラーハウスの中での、
シュワの正体を語るパートは、
メチャクチャ面白かった。
しかしやはり出落ちだったなあ。

アクションはよく考えると結構すごい。
中盤のクレーン車が街を破壊しながらチェイスするのは最高だし、
マシンとの研究所内のバトルも良かったし、
核シェルターの入り口での、
ヘリが二台突っ込んでくるのも最高だった。

しかしそれだけだ。

相変わらず「ただチェイスしている」
という大構造は同じで、
そこがT2を超える次の作品の役割として、
物足りなさを覚えたのだろう。

TXにハックされるだけじゃなくて、
シュワ側にドラマがあれば、
ラストバトルも盛り上がったというのに。
第二ターニングポイント(セスナで飛ぶ)時点で、
テーマが見えていなかったことが、
映画として失敗だったね。
「僕はネバダでコンピュータを壊して、
審判の日を起こさずして人類の英雄にでもなるよ」
とセリフで言えば、
ラストシーンと呼応できたのになあ。

ただラストシーンだけは秀逸で、
これを見るためだけに最後まで見てしまった。
パート1の名エンドとも呼応する、
決意のラストとして素晴らしい。

そうそう、ジョンコナーが、サラコナーの血を引いてる感じが、
あんまりなかったのが残念だ。
ビジュアルではなく本性としてね。
ポッと出の田舎臭いインキャにいちゃんが、
オイオイジョンコナーになっちまったぜ、
という違和感が拭えなかったのが、
大筋の失敗の原因だろう。


にも関わらず、
その後何度もリブートしたバージョン違いの、
「T2の続編」よりも、
格段に面白かったのは事実。
シュワがギリギリ若かったのもあるかもね。
ターミネーターは、ガタイがデカくなきゃつまんないよな。

さっさと未来世界の、
人類対マシンの戦争映画を見せてくれや。
まあマトリックスで大体見ちゃったか。
posted by おおおかとしひこ at 03:22| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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