両者の共通部分はないと僕は考える。
オープニングの才能は、
期待させる才能である。
大言壮語を吐き、ありもしない希望を描き、
保証できない構造を見せる。
これが終わればあとは知らない。
期待させるだけさせれば良い。
それは詐欺師の才能だとも言える。
夢を見せる才能とも言える。
予告編、プレゼン、OP、連載第一回、第一章、ティーザー、
などでこの才能を発揮する者がいる。
ストーリーの才能は、
これとは関係がない。
頭から尻まで首尾一貫して破綻のないものを作り上げ、
起伏やひねりを作り上げ、
人間の面白さや悲しみをあぶり出し、
魅力的な人間のあり方や深い部分を描き、
それでいて魅力的な、
何度でも楽しみたくなる世界観を作り、
意外な展開や謎解きで引きつけ続け、
最後まで見たときの満足感をコントロールする。
そして深いテーマに落として、見た人の人生に深く関わる。
そうしたことは、
オープニングの才能のどこにも必要のないものだ。
ところが、
ストーリーにはオープニングがあり、
シーンの頭があり、
伏線の前振りがあり、
登場シーンがある。
ストーリーの一部では、オープニングの才能が必要だ。
ここが誤解の始まりのような気がする。
もしあなたが、
冒頭やオープニングですごくワクワクしたものが作れても、
強烈にカッコイイ、
あるいはめちゃくちゃインパクトのある登場シーンを書けたとしても、
すげえ伏線を張れたとしても、
それはオープニングの才能で書いただけで、
ストーリーの才能で書いたわけではないことに気付こう。
もしそれだけ書いて挫折するのならば、
あなたはストーリーを書いたのではなく、
オープニングを書いただけなのだ。
あなたにはオープニングの才能があるが、
ストーリーの才能がなかっただけのことだ。
それは違う才能だと思うと話が早い。
ストーリーの才能は伸びるのか?
伸びる。
「頭から尻まで書く経験」を何度も経験することで。
長くても短くてもいい。
「挫折せずに最後まで書くこと」こそが、
ストーリーの才能を鍛える。
ストーリーの才能とは第一に落ちで鍛えられ、
第二に展開で鍛えられる。
オープニングの才能は、
オープニングを書ききれば育つ。
ストーリーの才能のほうが育てにくい。
だから、5分のショートを沢山書くんだ。
あなたが冒頭だけ書いて放り出してしまった数よりも、
沢山の完結を書けば、
オープニングの才能よりストーリーの才能が伸びる。
(厳密にいえば、ストーリーの中にオープニングが含まれるので、
オープニングの才能も伸びる)
オープニングとストーリーの関係を理解しよう。
オープニングは強烈なインパクトで惹きつけると同時に、
後半使うことを前振る役割であることを理解しよう。
それは、ストーリーを書ききらない限り学ぶことが出来ない。
あなたは、
オープニングの才能ばかり育ててやしないか?
ストーリーの才能を伸ばしなさい。
もっとも、
オープニングディレクターという職業も世の中にはあり、
そればっかやって生きていく生き方もある。
作曲家で前奏だけ沢山作る職業もある。
好きな道を行けば良い。
2020年01月07日
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