2020年01月07日

オープニングの才能とストーリーの才能は違う

両者の共通部分はないと僕は考える。




オープニングの才能は、
期待させる才能である。

大言壮語を吐き、ありもしない希望を描き、
保証できない構造を見せる。

これが終わればあとは知らない。
期待させるだけさせれば良い。

それは詐欺師の才能だとも言える。
夢を見せる才能とも言える。

予告編、プレゼン、OP、連載第一回、第一章、ティーザー、
などでこの才能を発揮する者がいる。



ストーリーの才能は、
これとは関係がない。

頭から尻まで首尾一貫して破綻のないものを作り上げ、
起伏やひねりを作り上げ、
人間の面白さや悲しみをあぶり出し、
魅力的な人間のあり方や深い部分を描き、
それでいて魅力的な、
何度でも楽しみたくなる世界観を作り、
意外な展開や謎解きで引きつけ続け、
最後まで見たときの満足感をコントロールする。
そして深いテーマに落として、見た人の人生に深く関わる。
そうしたことは、
オープニングの才能のどこにも必要のないものだ。

ところが、
ストーリーにはオープニングがあり、
シーンの頭があり、
伏線の前振りがあり、
登場シーンがある。

ストーリーの一部では、オープニングの才能が必要だ。

ここが誤解の始まりのような気がする。


もしあなたが、
冒頭やオープニングですごくワクワクしたものが作れても、
強烈にカッコイイ、
あるいはめちゃくちゃインパクトのある登場シーンを書けたとしても、
すげえ伏線を張れたとしても、
それはオープニングの才能で書いただけで、
ストーリーの才能で書いたわけではないことに気付こう。

もしそれだけ書いて挫折するのならば、
あなたはストーリーを書いたのではなく、
オープニングを書いただけなのだ。
あなたにはオープニングの才能があるが、
ストーリーの才能がなかっただけのことだ。

それは違う才能だと思うと話が早い。

ストーリーの才能は伸びるのか?
伸びる。
「頭から尻まで書く経験」を何度も経験することで。

長くても短くてもいい。
「挫折せずに最後まで書くこと」こそが、
ストーリーの才能を鍛える。
ストーリーの才能とは第一に落ちで鍛えられ、
第二に展開で鍛えられる。

オープニングの才能は、
オープニングを書ききれば育つ。

ストーリーの才能のほうが育てにくい。


だから、5分のショートを沢山書くんだ。
あなたが冒頭だけ書いて放り出してしまった数よりも、
沢山の完結を書けば、
オープニングの才能よりストーリーの才能が伸びる。
(厳密にいえば、ストーリーの中にオープニングが含まれるので、
オープニングの才能も伸びる)

オープニングとストーリーの関係を理解しよう。
オープニングは強烈なインパクトで惹きつけると同時に、
後半使うことを前振る役割であることを理解しよう。

それは、ストーリーを書ききらない限り学ぶことが出来ない。


あなたは、
オープニングの才能ばかり育ててやしないか?
ストーリーの才能を伸ばしなさい。

もっとも、
オープニングディレクターという職業も世の中にはあり、
そればっかやって生きていく生き方もある。
作曲家で前奏だけ沢山作る職業もある。
好きな道を行けば良い。
posted by おおおかとしひこ at 11:12| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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