2020年01月10日

わざわざそこまでかけて、その程度のことを書くか

リライトでよくある現象。


その時は必死だったのだ。
だからすごく手間をかけて、
その部分を書いたのだ。
それ、あとから見て、そこまでしているか?
って部分だ。


執筆しているときは気づかない。
それを書くために、全力を使っているだろう。
しかし全体から見て、
そこはさっさと流して次にいくべき場面でも、
全力を使って長く長く書いてしまっていることが、
稀によくあるのだ。

しかも大抵、
テンションが下がってどうにかしないと行けないところで、
自分を必死で鼓舞するために、
沢山書いてテンションを上げた部分が、
そういう無駄に長いシークエンスであることが、
とても多いと思う。


大概は、
何か重要なことが終わって、
次の何かが始まったときにおこっている。
そんなにそこに注力せずに、
さっさと畳んで次に向かえばいいのに。
リライトするときはそう思えるものだ。

執筆時には分らない。
こういうことをリライトで気づけるか、
ということは重要だ。

ああ、自分は書いているときに、
必死でなんとかしようとして、
必要以上にカロリーを使ってここを書いていたなあ、
と思えるようになることが、
リライト時の冷静さというものだ。

それをざっくりカットして、
するっと次に渡せるように書き直すのが、
あなたの仕事である。


全体を見て、
そういう部分をカットしよう。
テンポが復活するぞ。

思い入れ?
知るか。
観客が退屈していることが思い入れか?
posted by おおおかとしひこ at 23:48| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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