リライトでよくある現象。
その時は必死だったのだ。
だからすごく手間をかけて、
その部分を書いたのだ。
それ、あとから見て、そこまでしているか?
って部分だ。
執筆しているときは気づかない。
それを書くために、全力を使っているだろう。
しかし全体から見て、
そこはさっさと流して次にいくべき場面でも、
全力を使って長く長く書いてしまっていることが、
稀によくあるのだ。
しかも大抵、
テンションが下がってどうにかしないと行けないところで、
自分を必死で鼓舞するために、
沢山書いてテンションを上げた部分が、
そういう無駄に長いシークエンスであることが、
とても多いと思う。
大概は、
何か重要なことが終わって、
次の何かが始まったときにおこっている。
そんなにそこに注力せずに、
さっさと畳んで次に向かえばいいのに。
リライトするときはそう思えるものだ。
執筆時には分らない。
こういうことをリライトで気づけるか、
ということは重要だ。
ああ、自分は書いているときに、
必死でなんとかしようとして、
必要以上にカロリーを使ってここを書いていたなあ、
と思えるようになることが、
リライト時の冷静さというものだ。
それをざっくりカットして、
するっと次に渡せるように書き直すのが、
あなたの仕事である。
全体を見て、
そういう部分をカットしよう。
テンポが復活するぞ。
思い入れ?
知るか。
観客が退屈していることが思い入れか?
2020年01月10日
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