2020年01月10日

文脈的なコントラストと、ビジュアル的なコントラスト

これを一致させること。


ビジュアル的なコントラストはすぐに作れるだろう。
しかしそれが文脈的なコントラストを表現していないなら、
そのコントラストは滑っている。

同様に、文脈的なコントラストがある二つの文脈が、
ビジュアル的にコントラストがついていないのなら、
それはぼんやりしたストーリーだ。
(これはビジュアルがある、映画だからそうなのか?
否、ビジュアルのない小説ですら、
守るべき原則のような気がする。
小説では「読者が場面を思い描く」があるからだ。
ビジュアルのない小説でも、ビジュアルの記憶は残る。
それは景色としてたしかにそこに存在する)

前半と後半で文脈のコントラストをつける、
という話を前記事でしたが、
これをビジュアル的コントラストで描くことは、
念頭に入れた方が良い。


たとえば、
寒い場所と暖かい場所でビジュアルコントラストにすることにしよう。

これはなんの象徴でもできる。

冷たい人間関係が前半の文脈で、
後半の文脈が暖かい仲間の文脈という、
対比的文脈を、
北海道を舞台にした前半から、
沖縄を舞台にした後半へ移すことで、
暗に表現できることになる。

雪景色の孤独と、
酒を飲みみんなで踊ることを、
ビジュアル的に対比させられるだろう。

これは順目の使い方だが、逆目もある。

暖かい人間関係を寒い場所で描くことも可能だ。
「寒くて厳しいからこそ人があったかい」
ということに納得しない人はいないよね。
孤独を南国で描いてもいい。
「身内の意識が強く、異国人は馴染めない」
と沖縄を描いたっていいのである。

説明されて、
ああそれは分かる、となればなんでも良くて、
それがそのことの象徴になれば何でも良い。
それはあなたの作家性と文化(ベタな象徴は何か)
で決まる部分だ。

ビジュアルのコントラストはこのように使う。
文脈の象徴でないならば、
それはただのお絵描き遊びに過ぎず、
ビジュアルコントラストのない文脈のコントラストは、
物語としてぬるいことになるわけだ。


さて、前記事で前半と後半の文脈を、
対比させてコントラストを高めるべきだと書いた。
そしてそれは、
全体を2つに割り、それぞれを2つに割り、
さらに2つに割り、8つにしたうえで、
4つの前半後半の組と、
2つの前半後半の組みと、
全体の前半後半の組みで考えるべきだと書いた。

このうちどれが対比されるべきか。
僕はすべてだと思う。

つまり、最低4組、最大7組の、
ビジュアルコントラストが用意されているということに、
他ならない。

意味(文章)だけで考えていても、
ものごとははっきりしない。
ビジュアルコントラストで考えると操作しやすい。

上の例は舞台や背景だが、
そうでないビジュアルもありえる。
服、色、音、役者の顔、時代、小道具。
これらは全て、映画では各スタッフが用意するものである。

優秀なスタッフならば、
用意された文脈のコントラストに応じて、
対比的な服を用意したり、
対比的な小道具を用意したり、
対比的な役者を用意したりできる。

しかしあなたの書く文脈の中にコントラストがないならば、
何も用意できない。
posted by おおおかとしひこ at 13:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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