美術館にいって、
訳の分からない絵を見たとしよう。
彫刻でもインスタレーションでもいい。
素人ほど聞いてしまう。
「この作品の意味はなんですか?」と。
つまりこれは、テーマについて考えている訳だ。
あなたが、何かストーリーを書いたとする。
テーマなどに落ちなくてもいいのだ、
これは何か素晴らしい芸術なのだ、
と勢いのあるままに書きつけたとしよう。
しかしそれが美術館に飾られる日が来たら、
素人たちに、
「この作品は何を表しているんんですか?」
と、質問されることになるだろう。
美術を見慣れた人ほど、
そういう「バカな」質問はしなくなる。
全ての作品が何かを意味しているとは限らないし、
意味しなければならない訳ではない。
絵に関していえば、
何かを意味しているというよりも、
「そういう絵が描きたかったから」
としかいいようがなくて、
何かを訴えようとして描いたわけじゃない、
というのが本音だろうと思う。
だから、絵を見る人たちも、
意味を(必ず)求めることを放棄するようになる。
映画はそうだろうか?
テーマがない、意味のないものでいいのか?
僕は、テーマにきちんと落ちる、
意味のある作品であるべきだと思う。
意味のない作品、テーマのない作品が、
斬新で素晴らしいとは全く思わない。
そうする技術がなかった、
下手くその作品だと思う。
なぜなら、
映画は、素人が見るものだからだ。
玄人向けの映画しか世の中になかったら、
テーマに落ちない、衝動を閉じ込めたような、
フィルムがあってもいいかもしれない。
しかし映画館は、
「この作品はなんですか?」という人たちが見に来る場所である。
逆に、
人は、ある芸術を見たとき、
「意味を探さなくては落ち着かない、
という性質がある」と思うと、
議論が分りやすくなると思う。
意味の分からない現代美術や、
意味の分からないインスタレーションや、
意味の分からない巨大造形物などの、
訳の分からない美術館のものよりも、
「昨日食べた旨かった料理の絵です」
という方が、よっぽど、「ああそうか」と思うわけだ。
あなたの作品が、
そのような、「結局これはこれを意味しているのだ」
というものがない限り、
訳の分からない現代美術のように扱われ、
その時はしたり顔で話を合わせてくれても、
あとあと忘れられるものにしかならないだろう。
結局、人は意味で記憶する。
「あれは、ああいう意味があったのだ」
と記憶する。
たとえば「スタンドバイミー」は、
「なんだかんだあったけど、
あんな友達は二度とできない」
と記憶される。
それがテーマだ。
あなたの書く物語は、
そのようなものであるべきだ。
したり顔で話を合わせてくれるもので、よいのだろうか?
2020年01月12日
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