2020年01月12日

「この作品の意味はなんですか?」

美術館にいって、
訳の分からない絵を見たとしよう。
彫刻でもインスタレーションでもいい。
素人ほど聞いてしまう。
「この作品の意味はなんですか?」と。

つまりこれは、テーマについて考えている訳だ。


あなたが、何かストーリーを書いたとする。
テーマなどに落ちなくてもいいのだ、
これは何か素晴らしい芸術なのだ、
と勢いのあるままに書きつけたとしよう。

しかしそれが美術館に飾られる日が来たら、
素人たちに、
「この作品は何を表しているんんですか?」
と、質問されることになるだろう。


美術を見慣れた人ほど、
そういう「バカな」質問はしなくなる。
全ての作品が何かを意味しているとは限らないし、
意味しなければならない訳ではない。
絵に関していえば、
何かを意味しているというよりも、
「そういう絵が描きたかったから」
としかいいようがなくて、
何かを訴えようとして描いたわけじゃない、
というのが本音だろうと思う。
だから、絵を見る人たちも、
意味を(必ず)求めることを放棄するようになる。


映画はそうだろうか?
テーマがない、意味のないものでいいのか?
僕は、テーマにきちんと落ちる、
意味のある作品であるべきだと思う。

意味のない作品、テーマのない作品が、
斬新で素晴らしいとは全く思わない。
そうする技術がなかった、
下手くその作品だと思う。

なぜなら、
映画は、素人が見るものだからだ。

玄人向けの映画しか世の中になかったら、
テーマに落ちない、衝動を閉じ込めたような、
フィルムがあってもいいかもしれない。

しかし映画館は、
「この作品はなんですか?」という人たちが見に来る場所である。

逆に、
人は、ある芸術を見たとき、
「意味を探さなくては落ち着かない、
という性質がある」と思うと、
議論が分りやすくなると思う。

意味の分からない現代美術や、
意味の分からないインスタレーションや、
意味の分からない巨大造形物などの、
訳の分からない美術館のものよりも、
「昨日食べた旨かった料理の絵です」
という方が、よっぽど、「ああそうか」と思うわけだ。

あなたの作品が、
そのような、「結局これはこれを意味しているのだ」
というものがない限り、
訳の分からない現代美術のように扱われ、
その時はしたり顔で話を合わせてくれても、
あとあと忘れられるものにしかならないだろう。

結局、人は意味で記憶する。
「あれは、ああいう意味があったのだ」
と記憶する。

たとえば「スタンドバイミー」は、
「なんだかんだあったけど、
あんな友達は二度とできない」
と記憶される。
それがテーマだ。

あなたの書く物語は、
そのようなものであるべきだ。
したり顔で話を合わせてくれるもので、よいのだろうか?
posted by おおおかとしひこ at 12:30| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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