2020年01月13日

リアリティと寓話(「パラサイト半地下の家族」評2)

この話にどこまでリアリティがあるかは不明だが、
なんとなく韓国映画の嫌なリアルさが、
彼の国ではリアルかも知れない、
と思わせる不気味さに重なっていた。

日本だとまずありえない感覚だけどね。

ではそれをリアルだと思わせるテクニックについて。


間違いなく、
冒頭のWi-Fiを探すところだと思う。

貧乏なのにみんなスマホを持ってて、
それがもはや必需品で、
しかしWi-Fiは他人のを使っていて、
店のをタダ乗りしようとしてる感じ。

ここがリアリティの強化になっていて、
たとえファンタジーだとしても、
この人たちがいそうなら気がする。

ふつうに飯食って今日会ったことを話して、
だったらこのリアリティは出ない。

いま、ここにいる人たちが、ふつうに、
変な状況(金持ちの家庭教師)に巻き込まれていく、
という感覚に一役買っている。

僕はこのシーンがとても秀逸だと思う。

リアリティ、つまり、
この人たちがそこらへんにいそう、
と思わせるのに、
何行のセリフがあったか?
何人の、何回の、何文字のやり取りがあったか?

ここは文字起こししてでも勉強するべきところだ。


ここがあるから、
前半戦の乗っ取り詐欺師みたいなパートが、
ありそうとなさそうの間を、
うまいこと行かせている。

リアリティと寓話の間を狙うとき、
とても参考になる冒頭だった。

普通ならここで伏線を張るところだが、
このWi-Fi探しは伏線になっていない。
つまり、
ただこの家族は実在しそう、
というためだけのパートであることに気づかれたい。

このリアルから出発して、
ストーリーはどんどん寓話的になり、
そしてリアルへと着地する。
その距離感の手腕は見事だ。
posted by おおおかとしひこ at 01:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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