2020年01月17日

自分よりちょっと劣った人間を主人公にする

これは作者側からしても、観客側からしても、
有用なテクニックである。


作者から見た場合。

自分より幼いから、客観視しやすい。
幼いから自分ではないと考えることができるので、
彼または彼女の限界を理解し、
周囲をコントロールすることができる。

出来ないときは素直に出来ないと言わせて、
周囲に助けを求められるから、
ドラマが生まれやすい。

あるいは、幼さゆえの暴走や誤りなどを描くことも出来る。
自分と同等の主人公にすると、
劣った部分を描くことは、
自分の劣った部分を描くことに向き合わなければならず、
そこを客観的に面白いドラマにするのは心理的に非常に困難だろう。
だからつい主人公を完璧超人にしてしまい、
ドラマが生まれづらくなる。
(成功しかしない主人公は成長していない)

幼いならば、「この人はここが劣っているから」
と客観視できるがゆえに、
失敗をドラマチックに描き、
どう立ち直ればいいかまで描くことが可能だ。

主人公を自分と同等にしてしまうと、
「こんなの自分にはとても出来ない」
と、途中で解決を諦めて放り出してしまうことがある。
しかし幼い主人公ゆえに、他人だからとわかるので、
「自分にはとても出来ないが、この人には出来る」
ことを創作できるようになる。

たとえば、
「僕自身は足が遅いが、この人は速い」
と単純に創作してみよう。
そうすると、走れメロスが書けるわけだ。
自分自身が何かを走って解決したことがなくても、
その主人公なら、走って解決できるわけで、
それをハイライトに持ってくることが可能になる。
そして、走るのが速い人はたくさんいるから、
取材が可能になるわけだ。

また、作者の心理的に考えると、
「自分と同じくらいのやつの活躍には嫉妬するが、
世代が離れている人間の活躍は応援する」
ということもある。

作者自身に主人公を近づけるのには、
なんのメリットもない。
だから幼い人を主人公にすることには、
ほとんどメリットしかない。


観客側からの話。

自分より幼い主人公は、
見守る気持ちになれる。
「はじめてのおつかい」を考えれば明確だ。
成功も失敗も、似たようなことは経験してきたから、
過去の自分と重ね合わせて考えることができる。
そうだ、いいぞ、いや、そうすると失敗しちゃうんだ、ほら、
などと微笑ましく見ているうちに、
だんだん応援したくなってくる。
そうしているうちに、感情移入してしまうのだ。


こうした理由で、
年齢的に幼いだけでなく、
社会人一年生とか、大学一年生とか、
高校一年生などの「一年生」は、主人公になりやすい。
(フリーランス一年生、社長一年生、
老人ホーム一年生とかもあり得るだろう)

あるいは、年齢的にはごく普通だが、
「少しバカ」というのはとても良くあるパターンだ。

ついでに善人だったりすると、
もう頑張れ、としか言えない状況に落としやすくなるわけだ。


自分なら失敗しない場面でも、
その人なら失敗するという場面を見れば、
そしてその人なりに成功し直す場面を見れば、
がんばれ、いいぞ、と思うようになる。
そうして物語に、すでに夢中になっているわけだ。


少しだけ自分より幼いことは、このようなメリットばかりである。
テクニックとして持っておくと良い。

どうせ愚かなのが人間だ。
その人間臭さをどう出すかなのだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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