2020年01月18日

リアリティの話

職業柄、「風魔の小次郎」の二次絵を多く見るのだが(笑、
エロだろうがそうでなかろうが、
描き手は女性の方が多いと思う。
そこでいつも気になるのが、学ランを描けてないことだ。


学ランはかなり分厚い。
春物のコートより分厚い。
硬質とまではいわないが、着ててシワの寄りに窮屈になる。
もともと軍服の転用だ。
丈夫であることが第一で、
「着てて柔らか」なんてなにそれの服だ。

ズボンはまだましで、上着よりは柔らかい。
中高生のときはよくケツがツルツルテカテカにる。
大体二着くらいしか持ってないからそうなる。
そもそも制服というのは、
貧乏人でも真っ当な格好をするための、
揃え服であるから、
そんなに数買ってもしょうがないものだ。

我々学ラン経験者男子は、
このような皮膚感覚を持っているから、
ひらひらする薄そうな学ランの絵を見ると、
残念な気持ちになってしまう。

襟がコートみたいになってる学ランも、
気持ちは分かるがガッカリする。
詰襟にプラスチックの白いカラーが内側にあり、
玉状のフックにパチンと留めてあり、
外れることを知る女子も少ないかもだ。
(プラスチックは汗染みを詰襟に移さないため。
たまに拭く。
しかし僕みたいに首を締め付けられるのが嫌な男子や、
そもそも白いのがダセエとして、
外して黒い内襟にする男子も多かった。
当然汗が染み、めっちゃ臭くなる。
また、プラを留めるための玉状のフックが邪魔なので、
これをニッパーなどで切らなければいけない。
また、校章や学年章を、キリで穴を開けて、
ネジで留める構造になっていることも知らないかも)


学ランでなかった男子は同様に、
この感覚がないかもしれない。

こういった皮膚感覚があると、
「まちがった」学ラン描写にはものすごく違和感がある。
あーはいはいあなたのファンタジーですね、
と距離を取ってしまい、
「ほんとうには何が表現したかったのか」
まで汲み取る努力を捨ててしまう。

これは、リアリティに関する観客の気持ちの話をしている。

あなたの作品にこの学ランのようなものが出てきたら、
観客はこのように思うという話である。


学ランよりも有名なのは、
弓道警察だろうか。
弓道部は萌えだけど、弓道の描写が間違いがちだから、
フルツッコミが入りまくる。

銃火器の扱いも同様だ。
正月のキムタクドラマ「教場」での、
「安易に人に銃口を向ける」様は大炎上したそうだ。

ハリウッドの射撃場で知ったことは、
「人に銃口を向けることは(弾があるかどうか他人からわからないため)
殺人未遂が適用される」ということだ。
これは都市伝説レベルで、法的確認を取ったわけではない。
当時の教官も冗談で言ったかもだ。
しかし安易に銃口を向けて大変なことになるより、
殺人未遂適用と冗談でも戒めるほうが、
ずっと良い社会になることは確実だ。

ピアノに関しても、リアリティがよく要求される。
音楽経験者は大抵クラスに一人以上いるわけだし。
(小学校のクラスわけで、
1クラスに一人はピアノ経験者がいるように、
うまく割りふろうというのは有名な話)

医療と法曹以外の職業ドラマは、
大抵はファンタジーレベルだということは、
日本の脚本力の低下を嘆く材料に相応しい。
もしあなたが医療法曹以外の職業についていたら、
自分の職業がドラマ化されたときは見ない方が賢明かもね。

それくらい、取材が軽視されている。

取材費がないのもある。
取材費は昔は経費だったが、
それすらもリストラされて、自腹取材が増えてきた。
ネットで分かる内容は、豊富だが浅い。
突っ込んで話を聞くには、本人と会って話さないといけない。
一人じゃなくて、複数に話を聞くべきだろう。
飲み屋や交通費くらいなら安いものだが、
外国にしかないものを取材したり、
高価なものの話を書くには、
それ相応の取材費がいる。
また、時間のかかる取材には、人をその間動かし続ける人件費がかかる。
いくら?100万?50万?2万?
経費で落ちずに自腹になればなるほど、
貧すれば鈍するの世界になってゆく。


さて、ようやく本題だ。

リアリティとファンタジーの境目はどうすればよいか?

リアリティだけにせよ、だけでは無味乾燥だ。
まるまるファンタジーは地に足がつかない。

僕は、リアル側の人たちが、
「ちゃんと取材した上で嘘をついている」
ことがわかれば良いと思う。
そして、
「こんなことリアルにはないけれど、
もしあるとしたら面白いな」
になるのがベストだと思う。

銃を扱う人間が、
「こんなことリアルにはないけれど、
安易に銃口を人に向けるシーンがあって、
面白いなと思う」
になっていれば良いと思う。
「教場」の問題のシーンは見てないので、
それに該当するかは知らない。


そもそも、リアルとの差異を想像して冷めるのは、
物語として失敗だ。
もっと夢中にさせないとだめだ。

夢中とはリアルからの浮遊のことで、
その離陸は、上手に段階を踏んだほうがいいんじゃないかということだ。

(テレビはそのシーンだけ突然に見ることもあるので、
製作者はかわいそうだとは思う。
「前後を見て判断してください」と強く言えないのが不利で、
件の炎上はそこだけ切り取って叫んでるかも知れないし、
そうじゃないかも知れない)


などと、
「まちがった学ラン」を見ながら思いました。
映画刀剣乱舞における、間違った殺陣でも同じことを思ったなあ。
男対象ではないと分かりつつ、BLにおけるやおい穴もおかしな文化だと思う。
もちろん、
我々男子も、思い込みによる都合のいいヒロインや、
グラビアアイドルに興奮しているわけで、
50:50かも知れない。


いずれにせよ、
優れた創作とは、
リアルでもあり、ファンタジーでもある。

「分からないでもない」から、
「それ!」になるように、
うまく誘導していくのが、
創作者の務めであり、腕だということは自覚しておこう。
posted by おおおかとしひこ at 17:34| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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