2020年01月18日

何に重点を置くか

書くことというのは、
重点を何かに置いて書くことである。


全体で何かを言うことは、
その全体を、他のことより重点を置く、ということである。

その全体が三つの重点で書かれていたら、
それは三つの構成を持つということだ。

そしてその全体の1/3は、その重点で書かれていて、
それはまたn個の重点で書かれていて…
というような再帰的構造になっている。


あるシークエンスをリライトするとき、
それがN個の重点で描かれていたとしよう。

これを、
N個の重点のままリライトするべきか、
M個の重点に変更するべきかを、
まずあなたは判断しなくてはならない。

単純にそのシークエンスの、
N個の重点を書き出すことでそれを考えることはできる。

シークエンスを読む
(ひとまとまりで一気に表現する単位で、
最後はターニングポイントで終わり、
次の意識へ誘導されていることが理想)。
頭の中で重点を洗い出し、
N個のリストに書く。

余白は多めで。
僕は一枚の白紙に、N個を書いてみる。

その重点でそのシークエンスの要求することが描けていなければ、
M個の重点にリライトできないかを考える。

残すものもあれば、削るものもあれば、
足すものもあれば、入れ替えるものもある。

そのM個の重点でシークエンスを想像して、
問題ないか確認する。
頭の中で流れを何度もすすめ、
問題なければ一字一字直していく。


それが効果的だったかどうかは、
のちのち客観的になるまでは分からない。

しかし「こうした方がいい」という判断は、
客観的になってするものだ。

これをX回繰り返したものが、
第X稿となるわけだ。


Nの重点だったシークエンスは、
Mになり、Oになり、Pになり…
と形を変えていくかもしれない。
また、シークエンスごと消えたり、統合されるかも知れない。

いずれにせよ、
そのシークエンスの目的を最も効果的に達成するのは、
どういうN個の重点か、
が整理されるまで、
それは続くことになるだろう。


あなたの話の重点はなにか?
そのシークエンスの重点はなにか?
うまく行っていない重点を、
別の重点にすると良くなるか?

リライトは、常にそれとのたたかいだ。
posted by おおおかとしひこ at 17:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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