2020年01月19日

全部を表現できるわけではない

あれもこれも入れよう。
表現の初心者はこれを防ぎきれない。
あれも言いたい、これも言いたい。
そうなってくると、何もわからなくなる。
表現はカオスに沈む。


ある商品の特徴を言うCMを考えよう。
みっつあるとする。
それを言ってくれといわれて、
そのままCMにするのはバカである。
そんなもの覚えきれるわけがないからだ。

色んな特徴からやっとみっつに絞ったのかもしれないが、
それでもみっつは多いと思う。
僕は、一つに絞るべきだと考える。


たとえばあなたが父だとしよう。
娘が結婚したい相手をあわせたいと言ってきた。
どういうやつなんだ?と聞きたくなる。
そのとき、
AでBで、しかもCなの、
といわれて、想像ができるだろうか?

知らないものを頭の中にインストールするには、
三つでは多いのだ。
いくつかを考える。2か1か。
僕は「ものすごく強いひとつ」がいいと考える。

どういうやつなんだ?に対して、
「優しくて、頭がいいの」では弱い。
「腕相撲が強いの」
であるべきだ。

腕相撲が強いだけで結婚を決めるのか、
といわれたら、
それでしかも優しくて頭がいい、
と追加で示すと、信用が高まる。

つまり、2と3に出すべきは、
1より弱い情報にしておくとよい。
さらに言うと、2と3は、1とかぶっていないほうがいい。
「腕相撲が強いの」に続けて、
「ボディビルの大会に出た」とか、
「柔道をやっていた」では、被る。
何故なら、「腕相撲が強い」ということから、
それらは繋がっているからだ。
2と3で出すべき情報は、
1と別個の軸で出していくとよい。

だから、
まずはインパクトのある、
「腕相撲が強いの」と、第一印象を強烈に作っておいて、
「ただの筋肉バカではないか」
「暴力をふるうやつではないか」
などと、付帯状況を想像させておいて、
それを否定する、
「優しい」「頭がいい」
という情報を投げれば、
頭の中に、
これまで想像もしなかった人間像が想像できる。


いま、ほとんどのCMは、
このように整理された情報を提供していない。
だから駄目だ。
おもしろくもないし、理解もできないし、
想像もできないし、記憶もできない。
このような、しょうもないCMなど見ないほうがよい。
見るべき価値のあるものは、
情報がうまく整理されて、
こちらの想像がきちんとふくらみ、
記憶するべきビジュアルがオリジナルなものである。

この例では、
腕相撲が強い、という新しいインパクトが、
強烈な第一印象を残すため、
あとの情報が入りやすくなる。
それで覚えてしまうから、
脳の余裕が空くからである。

これが「優しい」などのふつうの情報から入ったら、
すでにこれがノイズになり、
次の情報も記憶できないだろう。


人にうまく伝え、
そして記憶に残り、
しかも好かれるには、
情報の整理と順番が必要だ。


あなたは、ストーリーを書きたい。
多くの思いが渦巻き、
整理されていないことと思う。
その情熱こそがストーリーを書くための原動力だから、
それ自体を否定しない。
しかしそれはいつか、
「腕相撲が強い」などの、
たった一つのインパクトに、
整理されなくてはならない。

ある種の突出したそれに集約し、
あとはそれとかぶらない、
むしろ逆の、付帯情報になるまで、
それを煮詰めることができたとき、
ようやく「人に見せられるもの」になる。

そうなっていないものを人前に出すことが、
既に間違っていると僕は思う。

だからしょうもないCMばかりで、
しょうもないドラマばかりで、
しょうもない邦画ばかりなのだと思う。


そんなものは参考にならない。
整理されたということは、
「たったひとつに、インパクトを集約したもの」
だと考えて、
自分のたくさん描きたい何かを、
構造化してみるといいだろう。

どうせ、
娘の結婚したい相手なんて、ろくなのがいないんだ。
たった一つだけ納得できれば良しと、
多くの父親は考えるだろう。

知らない人と会うということは、
そうしたことである。


あなたの作品は、
知らない人が来たことと同じだ。
どう自己紹介する?
posted by おおおかとしひこ at 18:28| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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