あれもこれも入れよう。
表現の初心者はこれを防ぎきれない。
あれも言いたい、これも言いたい。
そうなってくると、何もわからなくなる。
表現はカオスに沈む。
ある商品の特徴を言うCMを考えよう。
みっつあるとする。
それを言ってくれといわれて、
そのままCMにするのはバカである。
そんなもの覚えきれるわけがないからだ。
色んな特徴からやっとみっつに絞ったのかもしれないが、
それでもみっつは多いと思う。
僕は、一つに絞るべきだと考える。
たとえばあなたが父だとしよう。
娘が結婚したい相手をあわせたいと言ってきた。
どういうやつなんだ?と聞きたくなる。
そのとき、
AでBで、しかもCなの、
といわれて、想像ができるだろうか?
知らないものを頭の中にインストールするには、
三つでは多いのだ。
いくつかを考える。2か1か。
僕は「ものすごく強いひとつ」がいいと考える。
どういうやつなんだ?に対して、
「優しくて、頭がいいの」では弱い。
「腕相撲が強いの」
であるべきだ。
腕相撲が強いだけで結婚を決めるのか、
といわれたら、
それでしかも優しくて頭がいい、
と追加で示すと、信用が高まる。
つまり、2と3に出すべきは、
1より弱い情報にしておくとよい。
さらに言うと、2と3は、1とかぶっていないほうがいい。
「腕相撲が強いの」に続けて、
「ボディビルの大会に出た」とか、
「柔道をやっていた」では、被る。
何故なら、「腕相撲が強い」ということから、
それらは繋がっているからだ。
2と3で出すべき情報は、
1と別個の軸で出していくとよい。
だから、
まずはインパクトのある、
「腕相撲が強いの」と、第一印象を強烈に作っておいて、
「ただの筋肉バカではないか」
「暴力をふるうやつではないか」
などと、付帯状況を想像させておいて、
それを否定する、
「優しい」「頭がいい」
という情報を投げれば、
頭の中に、
これまで想像もしなかった人間像が想像できる。
いま、ほとんどのCMは、
このように整理された情報を提供していない。
だから駄目だ。
おもしろくもないし、理解もできないし、
想像もできないし、記憶もできない。
このような、しょうもないCMなど見ないほうがよい。
見るべき価値のあるものは、
情報がうまく整理されて、
こちらの想像がきちんとふくらみ、
記憶するべきビジュアルがオリジナルなものである。
この例では、
腕相撲が強い、という新しいインパクトが、
強烈な第一印象を残すため、
あとの情報が入りやすくなる。
それで覚えてしまうから、
脳の余裕が空くからである。
これが「優しい」などのふつうの情報から入ったら、
すでにこれがノイズになり、
次の情報も記憶できないだろう。
人にうまく伝え、
そして記憶に残り、
しかも好かれるには、
情報の整理と順番が必要だ。
あなたは、ストーリーを書きたい。
多くの思いが渦巻き、
整理されていないことと思う。
その情熱こそがストーリーを書くための原動力だから、
それ自体を否定しない。
しかしそれはいつか、
「腕相撲が強い」などの、
たった一つのインパクトに、
整理されなくてはならない。
ある種の突出したそれに集約し、
あとはそれとかぶらない、
むしろ逆の、付帯情報になるまで、
それを煮詰めることができたとき、
ようやく「人に見せられるもの」になる。
そうなっていないものを人前に出すことが、
既に間違っていると僕は思う。
だからしょうもないCMばかりで、
しょうもないドラマばかりで、
しょうもない邦画ばかりなのだと思う。
そんなものは参考にならない。
整理されたということは、
「たったひとつに、インパクトを集約したもの」
だと考えて、
自分のたくさん描きたい何かを、
構造化してみるといいだろう。
どうせ、
娘の結婚したい相手なんて、ろくなのがいないんだ。
たった一つだけ納得できれば良しと、
多くの父親は考えるだろう。
知らない人と会うということは、
そうしたことである。
あなたの作品は、
知らない人が来たことと同じだ。
どう自己紹介する?
2020年01月19日
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