2020年01月20日

前振って前振って、一行で落とす

一種のテクニックだけど。


劇的なことを印象付けるには、
だらだらやってはいけない。
一瞬でガンとやるのが正しい。

しかしその劇的なことを読解するのに時間がかかってしまっては、
一瞬でガン、もできなくなる。

せっかく象徴的な絵にしたとしても、
あ、これはここがこういう意味になっていて、
あれがこういう意味なのです、
と説明しなければいけないようでは、
一瞬もクソも、劇的も印象的もない。

説明しなければならない絵作りをするのが理想だが、
そんな毎度うまくいくわけでもない。

このために、仕込みをするのである。

つまり、
あとに出てくる印象的で劇的な絵が、
一発でわかるように、
その前に仕込みをしておくのである。

「幸せの黄色いハンカチ」はその最たる例である。

俺が帰ってきたときに、
もし許してくれるなら、
幸せの象徴である黄色いハンカチを、
家の前で干しておいてくれ、
ということを前振っておく。

これで観客が想像するのは、
軒先にてるてる坊主のように吊るされた絵だろう。
その黄色いハンカチが吊るされていなかったら、
許されてないと察して、
立ち去らなければならない。

だから家の前まで来た時、
ハンカチがあるかないかが、
彼女の心の説明になる。

このような前振り、仕込みがあっての、
ラストシーンだ。
これが劇的で、印象的だということだ。


これはさまざまな、
「説明を要する、印象的な絵」のときに使えるテクニックである。

今はそうではないかもしれないが、
昔は大学合格は掲示板に受験番号を掲示していた。
そこに自分の番号があれば合格だ。
だからそんなシーンでは必ず、
「1234…1234…」と、
自分の受験番号を言う、というのがお約束だ。
「あった!」というリアクションだけでは弱く、
「1234がある」という劇的な絵で締めるためである。
そのためには、
「1234がその人の受験番号」ということを前もって覚えてもらわないといけない。
「1234がある」という劇的で印象的な絵にするための、
これは小さな仕込みなのである。


当然、このような小さな例から大きな例まで、
沢山のものを仕込んでおくといいだろう。

「きみがぼくを見つけた日」
(毎回邦題をググる羽目になる。
原題: タイムトラベラーズワイフ。
「ゴースト/ニューヨークの幻」の脚本家、
ブルース・ジョエル・ルービンによる佳作)
では、彼がタイムトラベルする時は全裸でやってくることを前振ってある。
だから彼女は、彼の服を持って待っている。
束の間の逢瀬が終わった後、
彼女が彼の服を愛おしく畳むラストが、
最高に良い芝居なので、未見の方は必見。

これもこれまでの前振り説明が効いているからこその、
説明不要の印象的な絵になるわけだ。



つまり、
印象的な絵で一撃で決めるには、
それまでの仕込みが決定的である。

そのようにテクニカルに書かれているかは、
その読解力がないと気づかない。

そのストーリーで決定的な、
一撃で印象的な絵を調べよう。
それはなぜその絵でその文脈を象徴してると、
理解できるのか?
それ以前にある仕込みのお陰である。
そこを特定して、リンク関係をチェックしておくことだ。

そうすることで、その技が使えるようになる。


(ラスト一行で決めてみた。
このような、一撃で決めるわけである。
そしてこの例のように、
つまり一撃の絵というのは、
指示代名詞なのである)
posted by おおおかとしひこ at 13:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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