なんてナレーションはベタにある。
ナレーションを使わないモンタージュは簡単で、
迫る敵の絵と、気づいてない○○をカットバックすればいいだけのことだ。
これはつまり、劇的アイロニーのひとつである。
劇的アイロニーは訳語が悪い。
「登場人物と観客の知り得る情報が一致していない状態」
という定義の方がわかりやすいくらいだ。
○○は迫り来る敵の危険を知らない。
しかし観客である我々は知っている。
だからハラハラする。
そういう仕組みだ。
むしろ「志村後ろー!」だと考えた方が日本人にはわかりやすい。
(ドリフリアタイももうおっさんだけど)
こういったものは、色々使える。
彼女には秘密があるが、○○は知らない。
運命的出会いがこのあとあることを、○○は知らない。
会社の倒産を、まだ○○は知らされていない。
同窓会があったことを、○○は知らない。
失敗を知らずに、○○は成功したと勘違いしている。
成功を知らずに、○○は失敗したと勘違いしている。
いくつもバリエーションは作れる。
そしてそのたびに、
我々観客はハラハラするに違いない。
なんでこれを知らないんだ!早く知ってくれ!
とハラハラする。
そして、
その「知るシーン」に至った時、
私たちは○○と同様のショックを、やはり受けるのである。
ある種の「運命の受け入れ」を私たちは思うのかも知れない。
その時に初めて○○と同様のショックを受け、
動揺し、感情が上下する。
それは、こうなることがわかっていながらの、
感情移入という、
わりと高度な鑑賞だと思う。
現在進行形で、これからどうなるか読めないのもストーリーだけど、
このようなものを盛り込むことで、
素直に焦点を絞れる(○○はいつそれを知るのか?)
ため、
観客の集中力を持続させるのもストーリーだ。
どちらを選択するのかは、
ストーリー次第だし、
語り手の腕次第だとも言える。
もしやっていないなら、
研究の余地はある。
2020年01月21日
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