2020年01月21日

巨大な危機が迫っていることに、まだ○○は気づいていなかった

なんてナレーションはベタにある。
ナレーションを使わないモンタージュは簡単で、
迫る敵の絵と、気づいてない○○をカットバックすればいいだけのことだ。

これはつまり、劇的アイロニーのひとつである。


劇的アイロニーは訳語が悪い。
「登場人物と観客の知り得る情報が一致していない状態」
という定義の方がわかりやすいくらいだ。

○○は迫り来る敵の危険を知らない。
しかし観客である我々は知っている。
だからハラハラする。
そういう仕組みだ。

むしろ「志村後ろー!」だと考えた方が日本人にはわかりやすい。
(ドリフリアタイももうおっさんだけど)

こういったものは、色々使える。

彼女には秘密があるが、○○は知らない。
運命的出会いがこのあとあることを、○○は知らない。
会社の倒産を、まだ○○は知らされていない。
同窓会があったことを、○○は知らない。
失敗を知らずに、○○は成功したと勘違いしている。
成功を知らずに、○○は失敗したと勘違いしている。

いくつもバリエーションは作れる。
そしてそのたびに、
我々観客はハラハラするに違いない。

なんでこれを知らないんだ!早く知ってくれ!
とハラハラする。
そして、
その「知るシーン」に至った時、
私たちは○○と同様のショックを、やはり受けるのである。

ある種の「運命の受け入れ」を私たちは思うのかも知れない。

その時に初めて○○と同様のショックを受け、
動揺し、感情が上下する。
それは、こうなることがわかっていながらの、
感情移入という、
わりと高度な鑑賞だと思う。


現在進行形で、これからどうなるか読めないのもストーリーだけど、
このようなものを盛り込むことで、
素直に焦点を絞れる(○○はいつそれを知るのか?)
ため、
観客の集中力を持続させるのもストーリーだ。

どちらを選択するのかは、
ストーリー次第だし、
語り手の腕次第だとも言える。

もしやっていないなら、
研究の余地はある。
posted by おおおかとしひこ at 13:02| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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