前記事の続き。
うまくいくと、シークエンスがターニングポイントを接着剤に、
全てがつながる。
そうすると、焦点のつながりの一連がひとつのシークエンスで、
それらがターニングポイントを境目にして、
跳ねるようなイメージになると思う。
こうなったらしめたものだ。
ストーリーは、ドライブ感がではじめる。
つまり、停滞がなくなる。
焦点を維持しているひとつのシークエンスが、
焦点を維持し切れているか、確認する。
していればよし、
していなければ、間にターニングポイントを置き、
ふたつないしみっつに割り、
ターニングポイントで挟まれた、
複数の焦点の連鎖にしててしまってもよい。
もしひとつの焦点に集中している、
ひとつのシークエンスだとしても、
もっと強化するとよい。
つまり、もっと興味が出るように、
もっと危機があるように、
もっと夢中になるように、
改稿することが可能になる。
「その焦点に集中する、もっとも面白い展開やディテールは何か」
と考えれば、
新しいアイデアも出てくるというものだ。
こうして、
集中力が維持されたままのシークエンスが、
ターニングポイントで終わったかと思うと、
次の焦点のシークエンスがはじまり、
また集中力が高まる展開になり、
しかもそれが途切れず、
最後まで持続する、
という理想の脚本が出来上がるという寸法だ。
もちろん、これは理想形の話をしていて、
大抵どこかがうまくいかないものになる。
しかし、ある時その手術がうまくいき、
全部が繋がったら、
あとは面白くなるしかない、
面白くするしかない、
という状態に持って行くことができる。
すべてはスムーズに繋がり、
劇的な展開でツイストがあり、
スピードと意外性のある、
読み応えのある脚本にできるだろう。
その基礎が、
シークエンス単位でうまく繋がっているかどうか、
それらの接着剤が、うまいターニングポイントかどうか、
ということだと考える。
よく考えてみれば、
当たり前の構造だ。
しかし、誰も言及してこなかったポイントではないだろうか。
面白い脚本の必要条件かもしれない。
2020年01月23日
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