今回「風魔の小次郎究極最終版」を購入するにあたって、
本屋がかつてに比べて壊滅した事実を実感して、
震えている。
マス商売は終わり、少量多品種生産に移行したことはよくわかる。
アマゾンやメルカリも、
マスプロダクトが、一斉に、販売店に並ぶ、
というパラダイムの外からやってきた。
ではマス商売は今後どうなるのか?
販売店という物理がなかったら、
あっという間に廃れると思う。
売れない→クオリティが下がる→売れない
の自滅ループが待っていると思う。
本が売れない、CDが売れない、映画が売れない。
これらは、
従来の、マス商売としては、売れないということだ。
実際、電子書籍は読まれているし、
テキストだけならツイートなどの、
ネットに転がるものを見てればいい。
音楽もみんなスマホの中に持っている。
映画はネトフリなどで見ている。
小説やある種の情報や主張、
音楽、
映像と音で見せるストーリー、
が衰退しているわけではない。
従来の、
作者、出版社→配送→販売店、
作詞作曲→録音→配送→販売店、
製作→配送→販売店(映画館)、
というネットワークが崩れつつあるだけだ。
この物理ネットワークを崩壊させるのはもったいないなあ、
と僕は思う。
なぜなら、販売店の数は死ぬほどあり、
そこから微量の利益を得て、
大きく集めるシステムで、
大作が作れるからである。
多品種少量生産では、
「プロ中のプロたちが作ったすげえやつ」の、
リリースが減るのだ。
商売は個人生産に移るとしたら、
大作はもう作れない。
ジャンプがあれだけ売れたから、
車田正美は才能というエネルギーを燃焼できた。
凄い崇高なやつが、出にくくなったのが、
デジタルの今だと思う。
また、凄い崇高なやつでなくても、
そこに届かないがそこそこ面白いのが、
世に出にくくなっている不幸もある。
だから僕は、販売店の物理ネットワークを、
そのままにデジタル化すればいいんじゃないかと思う。
みんながメルカリに服を買ったり売ったりするなら、
その引き取りと梱包を、服屋がやればいいと思う。
みんなが電子書籍を買うなら、
本屋でDLすると安くなるといいと思う。
みんながネトフリ見るなら、
映画館にホットスポットをつくり、
機器も貸し出し、入場料払えば見放題にすればいいと思う。
物理ネットワークが持たないからといって潰すのは、
その文化拠点がなくなることで、
それは文化の死に等しい。
スマホやPCをみんなが持っていても、
販売店ネットワークがないので金が回らず、
供給するコンテンツの質が下がる。
物理店舗にみんなが回遊することで、
コンテンツ収益が確保されて、
金が回る。
本屋はもうそれが出来るほど残ってないかもだ。
映画館はまだなんとかなるかもしれない。
ゲーセンはもう無理かな。ギリか。
もちろん、デジタル側は、
そうした旧来のシステムを倒そうとして生まれたのだから、
旧来の物理店舗が潰れるたびに喝采しているかもしれない。
しかし物理店舗がなくなったら、
回る金の額が全然安くなることに、
なぜ気づかないのだろうか?
100円ショップがモノの価値を下げて、
デフレスパイラルがはじまった。
勿論彼らがそれを意図的に起こしたわけではなく、
結果的にそれが目立った嚆矢なだけである。
モノは売れず、日本は急速に貧乏になった。
金が沢山まわるには、
価値のあるものを作るしかない。
その価値のあるものをつくるだけの、
資金が不足している。
二進も三進もいかなくなる前に、
対策は講ずるべきだ。
どうせアマゾンもメルカリも、
立ち上げた奴らは誰かに売って売り逃げだぜ。
本気で文化を継続して行く気なんてないんだ。
いま、文化は滅びのとば口にいる。
あと10年で滅びる前に、
僕は何かをしなければならない。
本屋に月曜ジャンプ買うために並んだり、
ドラクエを買うためにゲームショップに並んだり、
金曜の夜先行オールナイトで映画館で徹夜したり、
したいのだ。
それぐらい面白く、価値のある、
文化であるべきだ。
先行オールナイト徹夜は、マトリックスリローデッドが最後だな。
おっさんで体力も落ちたけど、
あんなにワクワクした体験(マトリロはクソだったが)を、
今文化は提供してるかな?
2020年01月25日
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