僕は圧倒的に影響を受ける。
そもそも薙刀式を開発している理由は、
自分の言葉を出力するのに、もっとも馴染む道具を作るためである。
結論から言うと、
影響を受ける派と、全くなんでもいい派がいると思う。
80年代作家たちにワープロが広まり始めた時、
盛んに同じことが議論された。
手書きでないと自分の文章が書けないと主張する人、
いや、ワープロで全然いけるという人、
ワープロの中でも親指シフトなら行けるという人、
ワープロを変えたらダメだったという人、
どれでも変わらない人。
そもそも道具ごときに影響を受けるのは作家ではないという人、
手の延長に鈍い道具を使うべきでないという人。
百家争鳴の結論は出なかった。
つまり、
感性が手や道具に影響を受けない人と、
受ける人がいる、
と僕は考えている。
僕の中心は手書きだ。
しかも、ぺんてる中性ボールペンの青しか使わない。
これが黒や赤になったり、
普通のボールペンやフリクションになったり、
鉛筆になったり、
シャーペンになると、
文体に影響がある。
筆で創作文を書いたことはないが、
おそらく文体は変わるだろう。
(大体書道はコピー文なのは詰まらないよね。
巻物一巻くらい筆で作文する授業があったらいいのに)
手の延長の、それが変われば変わる。
僕は武術のうち武器術はやっていないが、
剣や槍や二丁鎌で、闘い方が変わらないわけがない。
目的はひとつかもしれないが、
そこに至るルートは全然変わると思う。
また、当初目的としていたことが、
ルートによって途中変更することだって全然ある。
青のボールペンと、
2Bの鉛筆で、
僕は同じ文章を書けない。
目的地も、ルートも変わるだろう。
めんめんつさんが、
qwertyといろは坂とフリックで、
文体や結論すら変わるとツイートしていて、
変わる/変わらないと、
ワープロ時代と同じ議論の波紋になっているのが面白い。
文章の完成は多分に主観だから、
結局は主観によるのかも知れない。
僕は普段乗っている自転車と、
友達に借りた自転車では、
目的地までのルートも、目的地すら全然変わると思うけどな。
僕がqwertyローマ字に全く納得がいかないのは、
客観的な不合理はもちろんだが、
主観的に自分の文体を書くのに物凄く苦労するからだ。
逆にいうと、qwertyローマ字の道具に流されて、
自分の文章が変質しがちである。
それが嫌だ。
今僕はこのブログを、
フリックまたは薙刀式で書いていて、
qwertyローマ字よりもフリックのほうが、
普段文字数を書いている。
会社や出先のPCでしかqwertyローマ字は使わないし、
そんなの一ヶ月で5000文字もないと思う。
メールはほとんど使わない。電話か直接で済ます。
それはすべて、
qwertyローマ字が嫌だからだ。
カタナ式を作ったのは、
それでも脚本や小説を書くための、
PCを使う道具が欲しかったからで、
qwertyローマ字では出来ないと思ったからだ。
薙刀式を作ったのは、
カナ入力の方が脳内発声がないと分かり、
薬指や小指を使うのが苦痛とはいえ、
苦しゅうないレベルに落ち着ければ、
自分でもなんとかなるとわかったからである。
僕がこれだけ連接のことを書くのも、
「言葉を指で一筆書きにする感覚」
を大事にしていて、
それは手書きの感覚と同等にしたいからだ。
手書きの筆順と同じという意味ではなく、
たとえ違っていても同等の感覚という意味で、
この辺は多分に主観の領域だと思う。
この、自分の手書きの感覚には、
親指シフトも飛鳥も新下駄も、
まったく合わなかった。
下駄と新JISは少し合った。
月は打鍵数の関係で合わなかった。
薙刀式が、
今のところ一番しっくり来ている。
これは物理キーボードに関しても同じくで、
しょうもないメンブレンやパンタグラフよりも、
hhkbやNiZの方がマシで、
(リアフォは持ってないが、触った感じ良かった)
それよりもminiAxeの方がいい。
薙刀式という論理配列を使ったとしても、
miniAxeで書く場合と、
hhkbで書く場合では、
文体や結論が異なってくるだろう。
つまり僕は、指に影響がありまくる。
触り心地だけでなく、
動かす順番や動かし方が変われば、
思考に影響がある。
そこと思考が分離している人もいる。
恐らくお互いに感覚は共有出来ないと思う。
80年代のワープロ論争は、
デファクトが駆逐してしまった。
手書き派は、デジタル入稿によって絶滅した。
でも僕みたいに、
第一稿は必ず手書きで書き、
デジタルで清書改稿の人はまだ全然いる。
しかしそれをしない限り自分の思考を保てない人で、
デジタルが苦手な人は、
作家になり損ねていると僕は思うのだ。
つまり、デファクトのqwertyローマ字が、
感性の豊かな人を締め出している。
この機会損失が、日本の文化の機会損失になっていると僕は考えている。
だから薙刀式はいいぞばかりでなく、
様々な配列があるんだよ、
配列もキーボードも変えられるんだよ、
それ自体はそんなに苦じゃないよ、
と発信したいと考えているわけだ。
80年代、ワープロが使えなくて作家を廃業した人もいたはずだ。
ボールが投げられなければ野球は出来ないが、
qwertyローマ字が出来なければ作家になれないというのはおかしい。
作家になるには大型免許を取りなさい、
というくらい理不尽な押し付けだと思う。
あえて、
道具に影響を受けない感性なんて、
作家としては鈍いんじゃねえの、
と挑発してみよう。
僕はqwertyローマ字で小説を書くくらいなら、
手書きで左手で書くだろう。
己の情熱や思考に、qwertyローマ字は合っていない。
ついでにword。お前もだ。
現在、qwertyローマ字×wordが、
作家のデファクトスタンダード
(という名の、与えられただけのもの)で、
これ以外を使う人は10%いないと思う。
qwertyローマ字×wordが何をおいても自分に合ってる人なら最高だけど、
そんな人人類の10%いないだろうと思う。
薙刀式×iText×TATEditorが、おれ主観のおススメです。
足を踏まれたら痛いと叫ぼう。
踏んだ側は気づいていない。
2020年01月27日
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