2020年01月29日

大文脈を意識しながら、目の前の展開を面白くしていく

これが出来ないなら、
そもそもプロットなんか必要なく、
アドリブで書いて行けばいいんだよ。


今自分は、4つに分けた大きな文脈の、
2番目を書いている。
それは○○○のような文脈だ。

そしてその、第3ブロックを書いていて、
それは○○○のような文脈だ。

全体はこういう流れで、
こういう流れで来て、
こういう流れで終わる。

このようなことを念頭に入れながら、
面白いセリフや心にくるセリフや、
印象に残る場面を創作できるのかどうかが、
問題なのだ。


ただ面白いセリフや心にくるセリフや、
印象に残る場面だけを書くのではない。

それをやりながら、
積み重ねていくと○○○の文脈の一部になっていて、
さらに大きな目線で見ると、
第2ブロックの○○○の文脈のことなのだ、
というような、
レイヤーを自在に上下しながら、
今やっていることを制御したまえ。

その上で、かぶりつきの席でもめちゃくちゃ面白くしなさい。

目の前で夢中でいながらも、
全体を見ながら進む方向は向いている。
その冷静と情熱の間が出来ないなら、
ストーリーは書けない。

目の前のことが大事なら、計画的文脈は忘れる。
計画が大事なら、ダンドリっぽくなって現場が生き生きしない。

どちらも同時に存在するように。


そもそもそれが出来ないなら、
プロットなど書く意味がない。
逆にプロットとは、
自分がそうできるように書きなさない。

プロットの形式はその人による、
というのは、
大体そうした意味だ。
posted by おおおかとしひこ at 02:55| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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