これが出来ないなら、
そもそもプロットなんか必要なく、
アドリブで書いて行けばいいんだよ。
今自分は、4つに分けた大きな文脈の、
2番目を書いている。
それは○○○のような文脈だ。
そしてその、第3ブロックを書いていて、
それは○○○のような文脈だ。
全体はこういう流れで、
こういう流れで来て、
こういう流れで終わる。
このようなことを念頭に入れながら、
面白いセリフや心にくるセリフや、
印象に残る場面を創作できるのかどうかが、
問題なのだ。
ただ面白いセリフや心にくるセリフや、
印象に残る場面だけを書くのではない。
それをやりながら、
積み重ねていくと○○○の文脈の一部になっていて、
さらに大きな目線で見ると、
第2ブロックの○○○の文脈のことなのだ、
というような、
レイヤーを自在に上下しながら、
今やっていることを制御したまえ。
その上で、かぶりつきの席でもめちゃくちゃ面白くしなさい。
目の前で夢中でいながらも、
全体を見ながら進む方向は向いている。
その冷静と情熱の間が出来ないなら、
ストーリーは書けない。
目の前のことが大事なら、計画的文脈は忘れる。
計画が大事なら、ダンドリっぽくなって現場が生き生きしない。
どちらも同時に存在するように。
そもそもそれが出来ないなら、
プロットなど書く意味がない。
逆にプロットとは、
自分がそうできるように書きなさない。
プロットの形式はその人による、
というのは、
大体そうした意味だ。
2020年01月29日
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