2020年01月29日

野球のチームを考える

複数の人間の間のあれこれを考えるとき、
僕は野球のチームを想像することにしている。


もう野球の世代の人たちがメインではないだろう。
僕は今の日本の物語が、
孤立した個人ばかりになってしまい、
チームやコンフリクトや喧嘩やうまい収め方が減ったのは、
まじめに野球の衰退と相関があると考えている。

サッカーは個人技の集合体で、
時々に応じてフォーメーションが変わる、
アメーバのような競技だ。

一方野球は、
段階を踏んで進む、
役割が固定した競技で、
個人の資質を役割の中で生かそうとする。

サッカーに比べ野球は、
その役割でやることが違うし、
平等性がない。
そこが、現実にある村の写像に近いと僕は考える。

サッカーの理想は全員サッカーで、
能力の高い全員がアドリブで動くことだと思う。
能力値が振り切った天才集団、
金で集めた上流軍団しか出来ないと思う。

それに比べて、凸もあれば凹もある、
人間たちの集団に、野球はリアリティがあると思う。

エースと女房役、
指揮官や遊撃手や、勇気が必要な役や、広い目が必要な役。
守備はサポートに徹して攻撃に特徴を生かすタイプ。
足が速いタイプやパワータイプ、チャンスに強いヒーロータイプ。

全員が平均的でなくて、
それぞれ尖っていれば良い、
凸凹のチームを組むときに、とても参考になる。
しかもそれぞれが勝手にやればよいわけではなく、
チームプレイの連携もあれば、
衝突や喧嘩もある。

人間たちの関係の、雛形がそこにある。

野球は何故か日本で特異的に人気がある(あった)。
それは、日本社会の写し絵だ(った)からかも知れない。


サッカー型の物語はあまり面白くない。
孤立して、勝手に動いてしまう。
気に入らなければすぐ移籍するし。

同じところで飯を食い、
揉めたり仲直りしたり、
別の人間関係に変転したりする、
野球型の物語要素を取り入れてみよう。

人気の学園ものは、その要素が濃い。
posted by おおおかとしひこ at 15:56| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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