複数の人間の間のあれこれを考えるとき、
僕は野球のチームを想像することにしている。
もう野球の世代の人たちがメインではないだろう。
僕は今の日本の物語が、
孤立した個人ばかりになってしまい、
チームやコンフリクトや喧嘩やうまい収め方が減ったのは、
まじめに野球の衰退と相関があると考えている。
サッカーは個人技の集合体で、
時々に応じてフォーメーションが変わる、
アメーバのような競技だ。
一方野球は、
段階を踏んで進む、
役割が固定した競技で、
個人の資質を役割の中で生かそうとする。
サッカーに比べ野球は、
その役割でやることが違うし、
平等性がない。
そこが、現実にある村の写像に近いと僕は考える。
サッカーの理想は全員サッカーで、
能力の高い全員がアドリブで動くことだと思う。
能力値が振り切った天才集団、
金で集めた上流軍団しか出来ないと思う。
それに比べて、凸もあれば凹もある、
人間たちの集団に、野球はリアリティがあると思う。
エースと女房役、
指揮官や遊撃手や、勇気が必要な役や、広い目が必要な役。
守備はサポートに徹して攻撃に特徴を生かすタイプ。
足が速いタイプやパワータイプ、チャンスに強いヒーロータイプ。
全員が平均的でなくて、
それぞれ尖っていれば良い、
凸凹のチームを組むときに、とても参考になる。
しかもそれぞれが勝手にやればよいわけではなく、
チームプレイの連携もあれば、
衝突や喧嘩もある。
人間たちの関係の、雛形がそこにある。
野球は何故か日本で特異的に人気がある(あった)。
それは、日本社会の写し絵だ(った)からかも知れない。
サッカー型の物語はあまり面白くない。
孤立して、勝手に動いてしまう。
気に入らなければすぐ移籍するし。
同じところで飯を食い、
揉めたり仲直りしたり、
別の人間関係に変転したりする、
野球型の物語要素を取り入れてみよう。
人気の学園ものは、その要素が濃い。
2020年01月29日
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