お前設定よりストリーライン(目的と行動)言うとったやないかい。
もちろんそっちが重要だ。
これはリライト時の話である。
第一稿を書いた時点で、
設定があやふやのまま終わっていた箇所が、
必ずある。
設定が詰めきれていなかったり、
複数の設定で矛盾が生じていたり、
その設定だとすると、こうした方が良いはずなのに、
劇中ではそれをやっていなかったり。
物語は設定という舞台での行動である。
第一稿だと、
舞台にちょいちょい穴が空いてたり、
変に重なったりしているわけだ。
リライトというと、
セリフを直したりストーリーラインを直したりすることを、
つい文字面を見ながら考えてしまう。
それももちろん大事だが、
設定のし直し、
ということも射程に入れた方がいい。
とくに過去設定とか、
場所の設定とか、
仕組みの設定とか。
その辺がストーリーに寄与するように、
そして先を読まれないように、
さらには期待されるように、
見事な伏線になるように、
複雑にせずシンプルに面白くなるように、
練り直した方が良い。
この意味で、
中二ノートみたいに、
ストーリーも書かずに設定だけ書いていることは、
二重に意味がない。
設定からストーリーが生まれることはないし、
(ストーリーは問題と行動から生まれる。
設定は行動の制約でしかない)
ストーリーが生まれた後は、
どうせ設定をリライトするからだ。
きっとなにかの設定資料集を見て興奮したのだろう。
それは、「資料集を見て興奮する」という娯楽であり、
ストーリーという娯楽ではないことに注意しよう。
ストーリーという娯楽は、
設定の上に咲く花のようなものだ。
花のために土台を固めて、矛盾なく、深く作り直そう。
そこまで深く作れたら、設定資料集として、
商売できるかもね。
「オネアミスの翼」の資料集は最高に楽しい。
しかしストーリーはクソだった。
そんなものを目指してはいけない。
ストーリーが傑作で、
資料集も面白い、ガンダム(ファーストのみ)を、
目指すべきだろう。
たとえが古くてすいません。
なにせ設定集に夢中になったのがその歳なので。
まず面白いストーリーを書け。
次にその土台となる設定を、
さらに深くよく練ってリライトせよ。
そしてストーリーをリライトせよ。
ストーリーのリライトのために、
練られたリライト設定があるようにせよ。
そうしないと、リライトは良くならないだろう。
ストーリーと設定は両輪になり、
最終的にはひとつに溶け合うだろう。
2020年01月30日
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