2020年02月01日

上手い流れと下手な流れの差は何か

今駅前で生ピアノ演奏をやってて、足を止めて一曲聞いてみた。
やっぱ生はいいなあと思いながら、
うん、こいつ下手やなと途中切り。

上手い演奏と下手な演奏は、何が違うのか?
つまり、
上手い流れと下手な流れは、何が違うのか?


僕は、つながりの良さだと考える。

つまり、
あるパートでとてもいい感情が湧いて出てきても、
下手な演奏ではそれが次へ繋がらない。

せっかく湧いたなにがしかのエモーションが、
そこで途切れてしまう。

上手い演奏だと、
そのエモーションがが、
次のエモーションへと流れるように繋がり、
私たちの心は揺さぶられる。

平常心→感情A→感情B→感情C→…

などと図式化できるだろうか。

Aという最初が起こるのは、
たぶん小さなもので大丈夫だ。
そこから雪だるま式に大きくしていき、
山になるといい。

そこで平常心を一瞬離れれば、
私たちは感情Aに支配されたことになる。

しかし、同じ感情Aで居続けることは私たちには出来ない。
飽きるからね。
新婚の幸せすら三年目の浮気になる。

だからそれが、
流れるようにBへと移行するべきだ。

ストーリー論でいうところの、
ターニングポイントだ。


下手くそな演奏は、
まず感情ABCが表現できていない。
楽譜を追うことでいっぱいいっぱいで、
観客をおいてけぼりにする。
間違ったっていいんだよ。
調子がずれてもいいんだよ。
感情ABCに、僕らがなるかどうかが大事だ。

演奏者がそういう感情なら伝わるか?
それは伝わることもあるし、
主観の箱の中で見えないかも知れない。
お、そこにいい女がいるぞと思いながらも、
観客を感情ABCに出来る演奏者もいるだろう。

演奏者の真の気持ちと、観客の感情は関係ない。
曲が、観客の感情を動かす。


ストーリーも同じだ。

やり方が下手でもいいんだ。
こいついい奴だと思ったり、
この悪役は最悪だと思ったり、
なんて悲しいんだろうと思ったり、
これは嬉しいに違いないと思ったり、
悔しかったり、腹が立ったりすれば、
それでいいんだ。

それがまだ感情Aだとしたら、
感情Bにうまく流れるようにすればいいんだ。

たとえば、
悔しくて切ない感情Aが、
ターニングポイントによって、
後悔してる場合じゃない、
という感情Bに自然に流れればいいだけだ。

あなたはその場面で、
観客の感情Xを、何にしたいのか?
そしてその次の感情Yを、どのようにしたくて、
その自然で興味深いつながりは、
どのようにすればよいか?

執筆者は、演奏者に近い。
しかしこのような俯瞰人格がいないと、
ストーリーはうまく流れないと思う。

演奏で言えば、指揮者か。


一人で演奏しようがオーケストラだろうが関係ない。
指揮者がいるべきだ。

その指揮者は観客の代表である。
最も厳しく、最も寛容で、
最も涙もろく、最も冷静であるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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