2020年02月02日

もしその話がサイレントになるなら

セリフを全部捨てて絵だけ残してみよう。
何をしてるのか、
どうしてそうしてるのか、
何が起こりどうなったのか、
わかるだろうか?


よくできた映画はミュートで見ることが出来る。
絵できちんとモンタージュが出来ているからだ。

アクション映画ばかりか?
違う。
映画は全てアクションだ。
心の中の葛藤すら、アクションで示せる。

「この人は高所恐怖症で、
今それを克服したいと思っている」
ということも、
屋上や階段で、
おっかなびっくりしている様や、
深呼吸して堂々としようとしている様や、
それでもやっぱり無理だ、
となっている様で、
サイレントで伝えられる。

なんなら、
「高いところから落ちる悪夢」を見て、
汗をかいて起き上がり、
落ち込んだり拳で壁を殴ることで、
さらに深層心理まで進める。

もう少し複雑な悪夢までいけそうだ。
好きな人が出来た、
恋人を失った、
父親に虐待されていた、
なども、セリフなしでいけるだろうね。


つまり。

説明台詞なんていらない。

絵でわかるものにはいらない。
また、
絵でわかるように改変するがよい。

自分の微妙な気持ちをセリフで言わなくてもいい。
絵でそのような状況をつくれば、
眉を少し動かすだけで、
その気持ちを我々観客は察する。

あなたを愛してますということを言葉を尽くす必要はない。
とても大きな花束で示したり、
ただ優しく抱きしめるだけで示すことが出来る。


その意味を示すような、
新しい絵を作りなさい。

「拾ってきた犬が心を開き、
手を舐めてくれた」
という場面を、ETは、
「指と指を近づけて、光らせる」
に変更することで、
新しいイコンをつくった。

(ETは、拾ったすごい犬が森へ帰る話と同じ構造だ)


出来れば複数あるとよい。
「見たことのない絵を見たい」
なんてプロデューサーや観客はいうけれど、
大方見たことのない絵なんてもうない。

そうではなくて、
「この意味を示すこの絵は、見たことがない」
を考え出すべきだ。


自分のシナリオを、
サイレントで見てみよう。

この人はどういう人か。
なぜ、悩んでいるのか。
何を克服したいのか。希望や夢は何か。

どういう事件が起きたのか。
なぜ主人公はこれを解決しようと思ったのか。

そこにどんな困難や障壁が現れたのか。
それをどう解決したのか。
その解決によって、どういう新しい問題が出てきたのか。

数々出てくる登場人物は、一体どういう人か。
彼らの動機は何か。

何をすることで、このセンタークエスチョンは解決するのか。
そしてそこにはどういう危険があるのか。
それを何故主人公は、危険を冒してやろうとするのか。

どうやって解決したか。
面白い解決法だったか。
見事な解決法だったか。


これらの全てが、セリフなしで伝わるのが理想だ。
そして、これらの幾つもの場面が、
見たことのない絵と意味の組み合わせになっているのが、
ベストだと思う。


ただのセリフ劇なら、
舞台でも出来るし、
ラジオドラマでも出来るし、
朗読劇でも出来る。

映画シナリオを書くなら、
意味を絵でどう表すかを考えて、
絵映えする話に作り直すべきだろう。
posted by おおおかとしひこ at 14:56| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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