2020年02月02日

シークエンスの終わりはラストシーンと思え

シークエンスに特に定義はないが、
「一気に見れるひとまとまり」としよう。
数シーンからシーンの一部まで長さは様々だ。
DVDのチャプターがわかりやすいかもしれない。

で、そのシークエンスのラストを、とくに注目する。


理想のシークエンスの終わりはターニングポイントであることだ。

つまり、今までの焦点が一区切りつき
(これに関しては解決した、先延ばしになった、
一部は解決したがまだ残っている、
全くの敗北など)、
次の焦点へ移るところで終わると、
シークエンス同士がうまく繋がりやすいことに関しては、
過去記事に書いた。

で、
さらにこれを突き詰めると、
そのシークエンスのラストは、
そのシークエンスのラストシーンだと思おうということ。

つまり、
劇的で、絵が良くて、
興奮が静かに落ち着き、
何かが湧いて来る、
ような形式的な点だけでなく、
真の意味、
すなわち、
「これまでのことがなんだったのか総括する」
という感覚があるといい、
ということだ。

「これまでのこと」の範囲は、
そのシークエンスの範囲に限ってもいいし、
これまでのさらに大きなブロックでもいい。
(それは比較的大きなターニングポイントになるだろう)

ラストシーンで、
それまでのことが、
なんとなくこうだったんだなあ、
と話がまとまる感じ。

その感じに、各シークエンスのラストシーンがなっていると、
良い、
という話だ。

まとまる、といっても、
「纏めるとこういうことです」
と誰かが言っては台無しだ。

これまでの苦労が水の泡になったとして、
「決して無駄ではなかった」とセリフでいうよりも、
瓦礫の山を掘って、
次へのヒントを見つけた、
というシーンの方が、
「これまでの苦労は決して無駄ではなかった」
という意味のラストになる。
このような、間接話法が、
ストーリーの意味を示す方法であった。


つまり、
あなたが10シークエンスの話を書くなら、
10のラストシーンを書くことになる。
あなたが40のシークエンスの話を書くなら、
40のラストシーンを書くことになる。

そのシークエンスが終わるたびに、
そのシークエンスでやってきたことがどういう意味だったのか、
話がまとまり、
次のシークエンスへと焦点を変えて渡し、
しかも大ブロック終わりでは、
大ブロックを総括して次へ進むような、
大ブロックのラストシーンになるようにする。

そうすると、
焦点を渡しつつ、
これまでのことがこういうことだったのだ、
と定着し、
じゃあ次はどういうことだろう、
とストーリーを理解しながら、
先を楽しみにすることになるだろう。

ラストシーンを書くのが上手い人は、
こうしたシークエンス毎のラストシーンも上手い。



こうしたことはどうやって練習するのか?
沢山ラストシーンを書けば良い。
つまり短編練習だ。
10本ラストシーンを書いた人は、
1000本オープニングを書いたが1本もラストまで書いてない人より、
圧倒的に強い。
posted by おおおかとしひこ at 23:30| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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