2020年02月04日

DNP広告の話、続き

もう少し細かく突っ込んでいこう。


>>イノベーションは、このような形で突如現れる。

写真が添付されているのに「このような形で」はいらない。
「イノベーションは、突如現れる。」
という言葉は平凡すぎる。
まあせやろな、のレベルの話だ。

むしろ、
「イノベーションは突如現れたように見えるが、
たった一つの成功の裏には、99の失敗があったのだ。
たとえばこのクラウチングスタート。
この形に落ち着くまで全くの別の走り方があったという」
なんて、くだんの写真を更に掘ることだってできたはず。

思考が浅いんだよな。中学生くらいのIQじゃないこれ。


>>今やあたりまえと思われているクラウチングスタートの姿勢は、

文章全体に言えることだが、係る言葉が長い。
「クラウチングスタートは今やあたりまえと思われているが、」
でええやん。

>>第1回オリンピック競技会(1986/アテネ)で、ある一人の選手が登場させました。

「ある一人の選手が登場させた」ってどういうこと?
「ある一人の選手が披露した」とかのほうが自然だし、
「ある一人の選手の発明だった」と、
イノベーションになぜ近づけないのだろう?

>>彼は、その革新的な走法によって、金メダルを獲得しました。

革新的の内容が不明。
詳しくは知らないが、
「重心が足裏に乗り、進行方向に飛び出せた」とか、
「初速の加速がやりやすかった」とか、
私たちがその革新性を理解できる内容が必要だ。

「100m走は後半加速しないことが、その後研究にわかってきた。
つまり勝負はいかにトップスピードに早く乗るかだったのだ。
彼はそのことに、本能的に気づいていた当時ただ一人の男だった」
みたいにすれば分かるだろう。

なぜ革新的だったのかがわからないから、
あとでDNPが革新的なんですよ、
と言われても、
なんでそうなのか分からない。
「革新的だから凄いのです」は、
同語反復である。


>>このようにイノベーションは世の中に突如現れ、最初は奇異に見えることがあります。

「このように」は不要。
この文章は全体にくどい。
係りの言葉は全部削ぎ落とし、骨だけで出すべきだ。
華美でない、スポーツの話なのだから。

>>しかし、それが新たな常識へと変わり、世の中のあたりまえになっていくのです。

クラウチングがなぜそうなったのか分からないので、
この一行は空滑りしている。

また、アテネの描写の視点移動が下手すぎて、
景色も革新性も、
なぜそれを誰も発明していなかったのかも、
まったく理解できない。
真ん中に急に「第1回オリンピック競技会(1986/アテネ)で、」
なんて理解しづらい言葉が入ってくるので、
話の腰が折られる。
これはまず最初に出すか、
最後にするべき。(添削例は後者)

視点移動は、大きな所から小さな点へいくか、
小さな点から大きな所へいくかだ。
この文章は、小大小大とガクガクしている。
最初に「しゃがむ姿勢でスタートする」という奇異性で、
点のインパクトを与え、
徐々に視点を広げ、これは第1回五輪のことでした、
と過去のことだとする添削例を参照のこと。


>>DNPは、まだ見ぬ「未来のあたりまえ」をつくるために、

唐突にDNP言われてもね。
クラウチングスタートとDNP、そもそも関係ないもんね。
その子孫が社長とかだったら関係あるけど、まったく無関係。
なので添削例では、
キャッチコピーをリフレインすることで、
クラウチングスタートとDNPが、対句になっていることを示した。

>>印刷と情報の力でイノベーションを目指し、

なんのことやら、まったく分からない。
インチキの人の職業みたい。
ハイパーメデイアクリエイターくらいインチキ。
「印刷の力でイノベーションを」ならDNPっぽいなあと思うが、
DNPは「印刷だけじゃなくて、ウチは情報にも力を入れてまして」
と言いたいのはわかる。
しかし今時情報に力を入れてない企業はない。
だから「ウチの会社は、利潤を追求しています」くらい情報量0の言葉だ。

>>今日も挑戦を積み重ねています。

で、一個もイノベーションしてへんやん。
挑戦積み重ねただけで、成果0やんけ。
「その結果、○○をつくりました」がない限り、
クラウチングスタートを出した意味がない。

>>未来のあたりまえをつくる。DNP大日本印刷


この話のテーマはなんだろう。
「未来のあたりまえをつくる」のはず。
しかし前には、イノベーションとか革新性とか挑戦とか、
どこかで聞いたことばかり。
具体的なことは何一つないから、
何があたりまえなのかわからない。

「耳障りのいい言葉をならべて、なにかをごまかしている」
があたりまえの内容ですか?


ここまで酷いプロの文章は、
20年やっててはじめてだ。

なんでこんな目の毒を、満員電車で見なあかんのや。
もっとみんなを楽しませたり、感心する娯楽をもってこいや。


今、紙の文化が絶滅の危機に瀕している。
紙は知性の象徴だ。
そのベースがこんなんでいいのか?

この文章を書いたプロは明日にでも廃業すべきだし、
こんなSNS以下の文章を載せて恥じないDNPは、
文化のベースを作る資格はないと思う。
紙ごと滅びろ。

紙は知性を書き記す、本という大事な人類の資産をつくるものだ。
別の会社が、本を作るといい。
posted by おおおかとしひこ at 23:00| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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