2020年02月11日

日本映画が世界で戦えない理由

一言にまとめるまで、時間がかかった。

内輪受けだからだ。


あの、○○が○○と共演!
○○な人むけ!

こうやって、内輪要素、
言葉を変えれば「親しみの範囲」で興行が行われている以上、
その内輪の文脈を知らない人からしたら眉をひそめる。

知らないサークルを除いて、
内輪トークしかしてなかったから、
ちょっとそこからは立ち去りたくなる。


興行というあり方を、
もう少し根底から考えないといけない。

「誰が出演したとしても面白い映画」
をこそつくるべきで、
近年では「カメラを止めるな!」があった。

(残念ながら、内田けんじの
「運命じゃない人」などとと同じ構造なので、
構造以外の部分が評価の対象になるが、
結局映画の何が面白いのかよくわからないので、
テーマが行方不明になったことが詰まらない。
コメディにテーマは不要か?
お笑いにテーマは不要だが、
映画には必要だと僕は考える)


そのようなシナリオを書く人を尊重し、
人気内輪客寄せ芸能人に頼らない、
話の面白さや深い感動だけでペイする仕組みを作らない限り、
世界で戦えないと思う。


アイデアはある。
出資者とプロデューサーを募る。
posted by おおおかとしひこ at 16:01| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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