映画の世界では、背景は全て美術部の仕事だ。
セットを組んだり、ロケの場所に飾り込みをしたり、
さまざまな仕事をする。
で、美術部は大きく二つに分かれる。
美術デザイナーと装飾だ。
これがちょうどシナリオを書く時の役割分担として、
わかりやすいので説明してみる。
美術デザイナーは、
そのセットがどういうものかの設計図を書く。
たとえば「悪の帝王のオフィス」を作ることを考えよう。
どういう様式がいいのか、
どこにどんなものが置いてあるのかを考えて、
イメージ画を書く。
美術デザイナーは一級建築士の免許を持っている人も多く、
設計図面を書く。
彼らの単位は「間(けん)」である。(畳の長辺)
どこからどこまで何間あるか、設計図に書く。
セットの場合、この設計図通り大工が組み立てる。
家を作るのと同じだが、
撮影セットの場合、撮影の間持てばOKだから、
対地震とか家事とか考えなくてよい。
なので家を作るよりは簡単だろう。
ここから装飾の仕事になる。
イメージに合うソファーを探してくる。
壁紙を探してくる。
置いてある小物はどうか、
カーテンはどうか、調度品はどんな感じか。
それぞれの色や大きさや形の組み合わせで、
全体イメージを構成するわけだ。
大まかなイメージが同じでも、
装飾担当によって最終物は異なると思う。
壁紙が紫のイメージでも、
黒ベースで艶だけ紫の壁紙があれば、それの方が洒落ているかもしれない。
今ある現物でセットは構成しなければならない。
美術デザインはあくまでイメージ画に過ぎず、
最終形と同じものにはならない。
ということは、
美術デザインは何をするべきかというと、
「構成と目指すもの」を確定するわけだ。
装飾はそれに従って、
「具体的なブツを選び、並べ、
美術デザイン画の方向性を実現するために、
色々な現場レベルの工夫をする」
わけである。
これが、
プロットと執筆の関係であることは、
論を待たないだろう。
装飾に影響されて、
デザインを変えるべきではない。
すごくステキなソファがあったとしても、
デザインの目指す方向と違えば却下だ。
しかしデザイン画にない色のソファでも、
デザインの目指す方向に合えば合格だろう。
デザイン画通りにしなくても良い。
ディテールがセンスが良く、
首尾一貫していて、
デザインの目指す方向とあっていれば、OKである。
執筆段階でプロットの方向性を変えるべきではない。
プロットが何を目指したかは、
プロットに最初から書いてある。
逆に、何を目指すか、きちんと決めていないプロットは、
プロットではない。
なんとなくできたから書き始めよう、
というできたものは、プロットではない可能性が高い。
ざっくりイメージがプロットなのではなく、
「この方向を目指すことに決めた」
というブレない骨と最終地点がプロットのことである。
なぜこれが面白い話だと言えるのかの根拠は、
プロットに全てなくてはならない。
もちろん、
この机のデザインがかわいい、
などのように、
装飾レベルでこの話の魅力が増すこともある。
しかしそれはあくまでディテールに宿った魂に過ぎず、
根本的な面白さとは異なるものである。
あなたは美術デザイナーと装飾の仕事を、
一人でやらなければならない。
映画美術の世界では、
美術デザイナーは一人(たとえば種田陽平)で、、
装飾が何人もチームを組む。
(装飾のチーフはいる。デザイナーはよく仕事をする、
お抱えのチーフを何人か持っている)
しかしシナリオライターは一人だ。
あなたは両方の仕事をしなければならない。
(もっとも、近年の複数脚本家システムでは、
プロットと執筆は別の人がやることもある。
Story byと、Screenplay byの違い)
それは装飾レベルで直せる話なのか?
デザインレベルで直す話なのか?
それを判断しないと、
リライトの迷路になる。
そんな時は、美術デザイナーなのか装飾なのか、
どっちのレイヤーの話なのだろう、
と立ち止まって考えるとよい。
2020年02月13日
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