2020年02月13日

表現と政治の違い

表現は、あるものをズバリということ。
何かを捨てることで何かを残すこと。

政治は、捨てないように目端を効かせること。

その好例がこちら。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/17809753/


神奈川県をズバリと区分けする。
これ自体は当たってもいるしわからない部分もある。
川崎の「魔境」がいい。武蔵小杉はうんこでもよかった。

問題は、その後色んな人に意見されて、
最終的に形になったやつだ。

これは、表現の側から見て改悪である。


表現とは、この有象無象の情報量過多の世界から、
「ある見方」を提供するものだ。

このある見方が偏っていれば偏っているほど、
尖った表現になる。

尖っているから、間違うときもある。
それこみで尖りだ。


神奈川県の区分が、
一度で脳で整理できる情報量程度に収まっていることが、
この地図の出来のいいところだ。
これだけ少ないと、それぞれのキャラが立てやすい。
キャラが立つということは、尖るということだ。


一方、改悪後は、政治の結果である。
「間違いがないようにする」
「全ての人に目端を効かせる」
とこうなる。
これは、何も言っていない。
表現以下のゴミである。


今、表現は政治の洗礼を受けなければならない。
偏見である、法令遵守でない、
人種に平等でない、などである。
ポリティカルコレクトネスという。

あほか。

表現は不良のものじゃ。
ナイフみたいに尖っては、触るもの皆傷つけるのじゃ。
だからいいんだよ。

全員が幸せになる表現はない。
それは政治だ。
それがやりたければ、政治家になりなさい。


この神奈川県の例を見て、
あなたがやりたいことを選ぶといい。


ついでに、
リライトって政治になりがちだよね。
それを切り捨てること。
posted by おおおかとしひこ at 13:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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