2020年02月14日

セカンドギア

第一幕と第一ターニングポイントがファーストギアだとすると、
二幕前半はセカンドギアになると思う。

同じギアの大きさ違いではなく、
「別のギア」が必要だと僕は考えている。


第一幕は、事件発生から主人公の解決への決意までだ。
第二幕はその本格関与を描く。
(第三幕は主人公自身の解決の瞬間のための、最後の山場)

第二幕がその関与であるが、
主人公自身の関わりだけが事件だけではない。
他の人がどう関わっているのか、
味方になるのか敵になるのか、
呉越同舟なのか、
もその世界に入ると分かってくる。

だから世界が急に広がるわけだ。

しかし世界の広がりばかり書いていると、
話の進行が遅れることについては以前書いた。
世界が広がっただけではなく、
話が進まなくてはならない。

つまり、
前にニンジン(目的や動機)、
後ろに切れた橋(締め切りや、これをやらないとどうなるか)、
が必要である。

おそらくそうしないと人は行動しない。
自ら積極的に「やろうぜ!よし次はこれだ!」
なんて人はいない。
なるべく楽したいし、危険は避けたい。
だから、前と後ろに理由を持ってくると良い。

これがセカンドギアだと思う。


最初のギア、
つまり第一幕では、
大変な事件が起こったという興味や、
主人公がそこに巻き込まれて大変だなあという興味や、
主人公の境遇などにある程度共鳴している段階であり、
どうにも逃げられなくなって、
自分自身で解決しなければならないのだなあ、
という関心が必要だ。

つまり第一幕のギアは、関心だと思うのだ。

セカンドギアは違う。
もう関心があるのだから、
改めて関心を引く必要はない。
そこから関係を展開して、
後戻りできない事態へ移らなければならない。

つまりセカンドギアとは、(後戻りできない)状況の変転だと思う。

主人公が一歩前に踏み出したことで、
あるいは妨害する人(敵対者)が何かしたことで、
状況は変わり、
後戻り出来ない新しい状況になるべきだ。

ああこんなことなら関わるんじゃなかったと後悔しながらも、
前に進むことで解決の可能性が見えているべきだ。

つまりセカンドギアとは、
「確かにこれをすることで、解決が見えてくる」
という確信(あるいは期待)だと思う。

もちろんそのスパイスには、
世界観が広がった楽しみ、
登場人物を深く知ることでの感情移入、
上手い裏切りによる展開の妙、
などもあるだろうが、
メインディッシュは上の通りだと僕は考えている。


ストーリーがセカンドギアが入った時、
すなわち、
次々に後戻りできない状況へ変転し、
それでも解決へ向かって一歩ずつ前進していることが、
確信が持てる、ないし期待できるとき、
話はドライブ感があると思う。

勿論、伏線を貼りながら、
感情を前後左右に揺さぶりながらだ。
posted by おおおかとしひこ at 23:10| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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