という言葉があるように、
急場は突然やってくる。
ゆっくり段々危機になったら準備できてしまうので、
急場にはならない。
逆に言えば、
こちらの準備が整っていない状態で、
何か危機的なものがやってくるから、
「やべえ」となるわけだ。
つまり、物語とは「やべえ」状況のことである。
万全で、対処可能であれば、
物語にはならない。
常に「やべえ」になっていなければ面白くない。
準備は常に足りず、
常に想定外のことでならなければならない。
風雲は常に急なのだ。
二種類のやり方がある。
急になって、さらに急になる。
一回緩を入れて、安心させて急になる。
つまりひとつは、
「やべえ」ことを描き、
それ以上の「やべえ」がやって来るやり方。
もうひとつは、
「やべえ」状況から脱し、
一安心したところで、
意外なところから「やべえ」になるやり方。
前者はエスカレート、
後者はテクニカル、だと言えようか。
いずれにせよ、
「やべえ!」とか「なにい?!」
になるわけだ。
つまり、風雲急には驚きの成分が入っていることに気づかれたい。
驚きもしない物語は、
のんべんだらりとしているだろう。
危険があったとしても想定内で、
つまりは意外性やひねりがない、
平坦な話というわけだ。
驚きには悪い方向もあれば、
いい方向もある。
いい方向はサプライズということがある。
これはこれで、新しい「なにい?!」になる。
受賞のニュース、プロポーズ、告白、
くじに当たる、何かに選ばれた、
などなど、
ストーリーの転換点になるだろう。
吉凶はあざなえる縄の如しというが、
どちらにせよ、
驚きのないストーリーは詰まらない。
もちろん、
ただ驚かせることだけなら誰にでも出来る。
その驚きが、なるほど!に変わって、
初めてストーリーであると言えよう。
風雲急というとクライマックスだけだと思われるが、
風雲急はいつ起こってもいい。
その方が驚きがあるからだ。
「いつだってクライマックスだぜ!」ってのは、
そういうことなのだ。
2020年02月17日
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