2020年02月17日

風雲急を告げる

という言葉があるように、
急場は突然やってくる。


ゆっくり段々危機になったら準備できてしまうので、
急場にはならない。

逆に言えば、
こちらの準備が整っていない状態で、
何か危機的なものがやってくるから、
「やべえ」となるわけだ。

つまり、物語とは「やべえ」状況のことである。

万全で、対処可能であれば、
物語にはならない。
常に「やべえ」になっていなければ面白くない。

準備は常に足りず、
常に想定外のことでならなければならない。
風雲は常に急なのだ。


二種類のやり方がある。

急になって、さらに急になる。
一回緩を入れて、安心させて急になる。

つまりひとつは、
「やべえ」ことを描き、
それ以上の「やべえ」がやって来るやり方。

もうひとつは、
「やべえ」状況から脱し、
一安心したところで、
意外なところから「やべえ」になるやり方。

前者はエスカレート、
後者はテクニカル、だと言えようか。

いずれにせよ、
「やべえ!」とか「なにい?!」
になるわけだ。


つまり、風雲急には驚きの成分が入っていることに気づかれたい。

驚きもしない物語は、
のんべんだらりとしているだろう。
危険があったとしても想定内で、
つまりは意外性やひねりがない、
平坦な話というわけだ。

驚きには悪い方向もあれば、
いい方向もある。
いい方向はサプライズということがある。

これはこれで、新しい「なにい?!」になる。

受賞のニュース、プロポーズ、告白、
くじに当たる、何かに選ばれた、
などなど、
ストーリーの転換点になるだろう。


吉凶はあざなえる縄の如しというが、
どちらにせよ、
驚きのないストーリーは詰まらない。

もちろん、
ただ驚かせることだけなら誰にでも出来る。
その驚きが、なるほど!に変わって、
初めてストーリーであると言えよう。


風雲急というとクライマックスだけだと思われるが、
風雲急はいつ起こってもいい。
その方が驚きがあるからだ。
「いつだってクライマックスだぜ!」ってのは、
そういうことなのだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:44| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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