前記事の続き。
ただサプライズや驚きをポンとおいても、
ご都合主義にしか見えないことが多い。
「それをしたいからそうしただけやん」というやつだ。
正しい風雲急とはどのようなものか。
その驚いた内容が、
「今までの帰結」であるかどうかが肝心だと思う。
単純に論理的帰結だと、
「まあそうやろ」となって順当で、
それは面白くない。
(順目の順当な展開の時はこれでよい)
その内容が、
それまでの流れからすると意外なのだが、
よく考えれば、
過去にあったこと(主人公の行動が一番妥当)
からの帰結だということが、
風雲急の正体である。
たとえば敵に奇襲を受けるとしよう。
それは「なにい?!」という「やべえぞ!」であるが、
それはただ何もない状態からだと、
ただのご都合だ。
ところが、
「主人公が奇襲をした」という過去があれば、
いずれ奇襲を受けることは必然だったと、
落ち着いて考えればわかるだろう。
つまりこれは敵の報復である、
と、驚きながらも納得するわけである。
この納得がないものを、ご都合主義というのだ。
世の中は因と果で支配されている。
今の驚きは、
今の流れから考えるととても意外で、
「やべえぞ」となるのだが、
よくよく考えてみればそれは因果があったことなのだ、
という塩梅が、
正しい風雲急と言えるだろう。
そしてその因果は、
ストーリーの基本からいうと、
もとを辿れば、
主人公が最初に行動したことから始まっているはずだ。
誰か他の人のせいではない、
自分がタネを巻いたことからだ、
と主人公自身が思うからこそ、
主人公は自らの手で解決することを望む。
つまり、解決とは責任でもある。
そのような因果の中にない、
ただの驚きは、
「それやりたかっただけやろ」というご都合になるわけだ。
2020年02月17日
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