コンテスト開催側と、作者サイドから見た世界はこんなにもズレている。
作者からしたら「すげえ話を思いついたぞ!」ってなるけど、
沢山集めた側は「またか」と飽きている。
実に興味深い。
実際の原稿も載せてあるところが良くて、
「ああこういうパターンね」が、
とても分かりやすくなっている。
こんなことやってない?
「これは誰も思いつかないぞ」
「それは誰もが思いつくよくあるやつ」
を判断するのは結構難しい。
アイデアというのは、
見たものから発想するからである。
みんな同じものを見てたら、
大抵同じものを思いつく。
「猿が海で芋を洗い出した時、
全く離れたところで同じ習慣が生まれた、
シンクロニシティだ」
というのはどうやらデマらしいが、
似たようなアイデアは、
似たような状況から生まれやすいということだ。
たとえば、
コロナで停泊中のダイヤモンドプリンセス号を見れば、
誰でも映画化のアイデアの2つ3つは出せる。
それらは、
同じものを見た中からのアイデアだろうね。
「目の付け所がシャープでしょ」
という、シャープの名コピーがある。
どこに目を付けるかから、勝負は始まっているわけだ。
さて、件の4パターン、
死ぬ関係(死亡、死神、滅亡)と、
RPGモノと、2パターンに分類できる。
お前らラノベ読みすぎやろ。
あるいは、ゲームばっかりしてるから、
現実がゲームっぽく見えるわけだ(ゲーム脳。
現実でも先を飛ばして見たくなったり、
サムネ探したりするのはYouTube脳)。
「現実にゲームのアレ的なものが重なったら面白いぞ」とね。
近隣のものを持ってきても、
近隣遺伝子が混ざって同じになるだけだ。
遠くの遺伝子を持ってくるのがコツだ。
進化は孤立から起こる。
たとえば釣りとか将棋とか、マイナーな趣味を追うと、
今の漫画のテイストとは違うものが出来るだろうし、
今熱い自作キーボードはネタになると思うがね。
たとえば陸上競技にしても棒高跳び漫画は聞いたことないし、
スポーツ競技でも馬術やクレイを題材にしたものはない。
ネタ探しの為に入部したっていいと僕は思うがね。
「僕は漫画を描いてます。取材のために体験入部していいですか?」
って初手で言えば、大抵はどうぞどうぞと歓迎されるよ。
本気で極める気はない、を先に言ってしまった方がいいし。
うんうん唸ってラノベしか出てこない三ヶ月を過ごすくらいなら、
変な部活やクラブに体験入部したら、相当おもしろいと思うけどね。
一年それをやったら4クラブ分取材ができるわけだ。
4個もネタを積めば、1個は当たりがあると思うよ。
「取材は足でする」の意味は、
「安易な題材を選ばないためには、
実際に人がやらないことをやる」
ということだ。
楽な取材は平凡しか産まない。
あなたの周りには、
あなたに似たような人はいないのだろう。
あなたは、そこらへんにいない、
「ちょっと変わったアイデアを出す、作家の卵」
なのだろう。
しかしそれは他の海岸でも洗ってる猿と、
全国規模では同じである。
あなたは身の周りの猿の中で一番を取るのではなく、
全国の芋洗猿から一番を取らなくてはならない。
名作ばかり見ていては、
平凡なアイデアと非凡なアイデアの区別はつかない。
限られた名作インスパイアの、平凡なアイデアしか産めない。
本当に見るべきは、
クソみたいな駄作を沢山見ることで、
平凡なアイデアを見てうんざりすることだ。
「ああこれはあれのパクリなのね」が分かるまでだ。
パクリ元は名作にするべきではない。
あなたの人生にするべきだ。
死ぬ系しかアイデアに出せないのは、
今のあなたが生に実感がないからで、
生の反対→死という図式しか考え付かないからである。
「自分を描くべきではない」という原則から、
初手で外れているのだ。
「自分一人が面白いと思っているが、
それは平凡だ」という客観的状況に気づかないのは、
自分が夢中になる自分の話だからではないか。
ということで、
正しいアイデアの出し方は、
自分の(他にない)実体験に基づいた、
そのまんまの組み合わせではなく組み合わせを適宜変えた、
全く他人の話がよいのである。
2020年02月18日
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