素晴らしい。
エアトレイン渋谷〜表参道
https://mobile.twitter.com/pakuriman/status/1228609058527051777
芸とはなにか。
「人の手でつくられた何かの再現」
という定義だと僕は思う。
「何か」は実在でもいいし、
架空でもいいと思う。
重要なのは「人の手で」というところ。
フィルム時代の映画は、
全部人の手でやっていたから、
面白かったのでは?
CGは映像をものすごく進化させたけど、
それで映画は良くなったかな?
CGに頼っただけのクソ映画が増えただけじゃないか?
CGをふんだんに使って面白い映画は、
まずストーリーそのものの出来がよくて、
絵をCGありにアップデートしただけでしょ。
つまり、CGは映画に必要ない、
予算圧迫のガワに過ぎない。
(もっとも、美術やロケーションを実際に作る方が、
予算を圧迫する説もある)
今もとめられているのは、
「全部人の手で作ったの?!」
だと思う。
で、今も昔もなくて、
それこそが常に求められていると、
僕は思うのだ。
舞台がなくならないのは、
全部人の手で作ったと明らかにわかるからで、
たとえば映像をスクリーンに写す演劇は寒いよね。
「せっかく全部人の手で作っている」を台無しにするからだと思う。
CDでいいのにライブに行くのはなぜか。
「全部人の手で作っている」のを見たいからでは?
人の手で作るからこそ、
全部が完璧に作れてるかどうかをチェックできる。
芸術とかアートとか、
難しい言葉で思考停止するべきではない。
「全部人の手で」は、
一つのキーワードになると思う。
つまり、芸術とは、
「全部人の手で作れる限界を広げ、深め、
我々の認識、すなわち見立てを新しくするもの」
と定義することが出来るかもしれない。
しかしこのエアトレインは恐れ入った。
ガタンゴトンだけで一体何種類あるというのだ。
(たぶん同じ奴は一個もないよね)
どれだけの種類のSEと、
どれだけの種類の声色があるのか。
それを全部細かく分析して、
ひとつひとつ丁寧に重ねていく口の芸よ。
ブラボーとは、こういうことをいう。
2020年02月18日
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