2020年02月19日

緩急とステージ(「1917」批評2)

なんでゲームっぽかったんだろう、と考えるに、
ステージ間の移動が緩で、
ステージに辿り着いたらイベントが起こる(急)、
というような構成だったからだと思う。

ネタバレ上等で。


何かにたどり着くまでは、
何か無駄話をしていて、
ステージに来たら急なアクシデントが起こり、
それが終わったら次のステージへの移動が始まり、
また無駄話で時間稼ぎ。

そのテンポがゲームっぽい。

だから、急に当たる部分が、
全部ゲームステージみたいに、
「あつらえた空間」だったのが余計目立ってしまった。
そこで何かを起こさないといけないからだ。

最初の炊事場、
塹壕、
指令本部、
前線の塹壕まではいいとして。(ここまで序盤)

鉄条網ステージ、
爆撃穴ステージ、
打ち捨てられたドイツ軍塹壕ステージ、
森を抜けるステージ、
桜が切り倒された廃屋ステージ、
飛行機来るステージ、
友軍トラックステージ、
壊れた橋ステージ、
狙撃建物ステージ、
炎の廃墟ステージ(夜)、
地下壕ステージ(夜、回復ステージ)、
廃墟吐いてる男ステージ(夜明け)、
川ステージ(朝)、
森で合流ステージ(朝)、
ラストステージ塹壕
(クライマックスは第二波突撃を掻い潜って、
指令本部にまで走るところ。
ここは良かったけど、ここがピークに過ぎなかった)

あとはボーナスステージの、
司令室、塹壕、テント、木の根元。

と、ステージと名前をつけたほうがいいくらい、
ゲーム的な攻略ばかりである。
ただの障害物競走に過ぎないからだ。

障害がモノになっていて、
コトや人になっていないからではと思う。


唯一、メダルの話が伏線になっていたが、
その直前の、
ヘアオイル全部つけてネズミに齧られる話は、
なんの意味も成していない。
ただの時間稼ぎだ。
川を越えて森に合流した時の、
ヨルダン川の歌は美しかったが、
それは状況を見せるためのカメラワークを待つための、
時間稼ぎだった。

ステージとステージの繋ぎが退屈なまぎれ話で、
ステージに来たらモノ越えばかり。

これが映画っぽくない証拠である。
風雲たけし城となにがちゃうんや。


編集は偉大だ。無駄話をカットできる。
ヘアオイルを切って、メダルの話だけにできる。
チェリーの木の話も切れたやろ。
(川ステージで桜が咲いてるのは、
日本人的には情緒を感じるけどね)
「切り倒されても種が撒かれるから、
また生えてくる」
という台詞は、テーマになるかとおもいきやそうじゃなかったし。

ヨルダン川の歌もなくしてしまって、
川から上がったら軍隊がいて、
「第8連隊から来ました!」で切り返せば2秒じゃん。

(歌のシーンは歌が全部終わるまで待たないといけないので、
ストーリーが止まるのだ。普通コーラスのいいところしか使わない。
しかしハサミが入れられないからフルコーラス使ってしまったわけ)


こういった、本筋に関係ないものを切ることが、
映画シナリオである。


また、
シーンの入り方は、
そのシーンの最初から入る形式ではなく、
「そのシーンのピークから入れ」というのが常識である。

チェリーの廃屋だって、
ヒキを一発見せといて、
誰もいない→牛乳がある→飛行機墜落、
と3シーンで纏められるはずだ。
なんなら、ヒキの直後、
納屋で水だ!
となった直後に飛行機が突っ込むところから、
このシーンを始めてもいいくらいだ。
(牛乳ゲットはそのあとでもいい)

シーンのピークから入れば、
状況をうまく使って話を進められる。

ステージ攻略動画と映画が異なるのはここである。


つまり、映画はステージはただの背景で、
そこでなにがどう起こるかが重要で、
そのピークから入って整理されていることが大事だと、
この例から逆にわかるわけだ。

「歩き続けるロードムービー」ゆえに、
ロードムービーの失敗しやすいポイント、
「ストーリーが進まずに風景だけが進みがち」
に陥っていたわけである。
posted by おおおかとしひこ at 22:57| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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