2020年02月20日

【薙刀式】数学と脳内発声

速読のことを調べていたときに、
「数学や物理などの数式を用いた厳密な議論は、
速読できない」という話を聞いたことがある。


つまり速読は、ある程度の飛ばし読みの可能性があり、
一字一句の理解よりも大体の意味の理解なんだなあ、
と思った記憶がある。

ところで、
読むときに脳内発声ありの人は、
数学は脳内発声があるんだろうか?

僕はないので、
「あったとしたらややこしくてしょうがないのではないか」
と想像するのだ。

ひょっとしたら数学が苦手な人は、
「数式を脳内発声してしまって、
意味がわからずにへたり込む」人が、
多いのではないか?
という仮説を立ててみた。

僕は中学生くらいから、
数学で脳内発声がないほうが、
数式の意味がわかることに気づいた。
(九九の暗算のときは、昔の癖で脳内発声ありだ)
大学数学や物理も同様。

で、大学に入って分かったんだけど、
数学って実は英語の構文を記号化してるだけなんだよね。
英語の語順で読むと、
数式は記号じゃなくて文章に近いんだよね。

なんだよ早く教えてくれよ、外人ずるいよ、
って思った記憶がある。

逆にいうと、英語ネイティブは、
数式を脳内発声ありでそのまま理解している可能性もあるわけだ。


日本人の数学者のインタビューで、
「こんなに複雑な数式の意味をよく理解できますね」
という問いに対して、
「理解はしてません。形式的に計算してるだけです」
と答えていて、
ホンモノの数学者は意味すら拒否してるんだなあ、
と感心した記憶がある。


記号で理解する
脳内発声なしで意味で理解する
脳内発声ありで音声から意味を理解する

の段階がある。
段階でなく、これらは混ざらない、違う機能の可能性もある。

ローマ字タイパーのチャンク化というテクニックがあって、
言葉の文節単位ではなくて、
ローマ字の打ちやすい単位で区切る、
というテクニックだが、
これはもはや記号理解、記号出力の世界だと想像するわけだ。


で、
僕は、
脳内発声なしで意味を理解するし、
脳内発声なしで文を書く。

文や言葉さえあれば、それを仲介物として、
脳内現象が違う人同士でも相互理解できるのが、
人類の凄いところかも知れないね。

つまり言葉さえあれば、
宇宙人やAIとも相互理解出来るかもしれない。


逆に、
脳内発声あり系の人が、
脳内発声なしの人が作った薙刀式を使ったら、
どのような感想を抱くのだろうか。
これはこれで興味深い。
posted by おおおかとしひこ at 11:17| Comment(2) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
当てはまります。
そもそも思考に脳内発声ある事がネックな事に気づきました。
声に出せない数学の場合は手で書いて覚えられる範囲ならついていけますが、一定レベル以上は無理でした(線形代数なら掃き出し法までは分かるがそっから先の線形空間の話でアウト)。

脳内発声なしで読む事はできますが、思考に発声がある時点でそうやって読んで得た知識は活きないんですよね。なので発声なしで書く事はほぼ不可能です。
ちなみに相当馴染みのある分野(化学ですが)なら絵的にイメージできるので一応発声なしで思考できてます。

Posted by めんめんつ at 2020年02月20日 12:26
>めんめんつさん

なるほど。いろんな人がいることが分かって面白いですねえ。

化学なら絵で理解しているから、というのは新しい知見かも。
脳内発声がない人は絵で考える人もいます。

僕は絵で考えてない部分もある(たとえば暗闇で触覚だけで判断する感じ)ので、
絵だけではない、ということも言えそうです。

五感の発達具合と思考のひも付き方が、人によって強弱があるのでしょう。(嗅覚で考える人はそんないないか)
Posted by おおおかとしひこ at 2020年02月20日 15:15
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