2020年02月21日

停滞は、利用せよ

さもなくば、バッサリ落とすこと。


停滞は、ストーリーの半ばで、
最もよくある退屈のひとつである。

見せ場で、
ストーリーが動くことを描くことが出来たとしても、
見せ場と見せ場の間の繋ぎを書くことは非常に難しい。

次に大きく動くことがわかっていたとしても、
それまで何を描くべきかわからずに、
ただ事態が進まずに、
停滞を招いていることは、
稀によくあるシナリオ上の誤りである。

最悪なのは登場人物がただお喋りしているだけのやつで、
作者は楽しいんだけど観客は退屈しているやつだ。
お喋りはいいからストーリーを進めろ、
と苛々すらし始める。

観客は危機を乗り越えるさまを楽しみにしているのであり、
停滞を楽しみにしているのではない。

「このお喋りは、このあと起こる最悪の出来事の前の、
最後の楽しみであったのだ」
と観客が知っていればそのお喋りも悲劇の一部になるが、
これから先を知らない観客には、
ただの「ストーリーが進まない時間」に見える。

せっかく面白かったストーリーがクールダウンして、
絶対零度になってしまった苛々しかない。

夢中から怒りへ転じた観客は、
ストーリーテラーへの信頼がなくなり、
そこから多少面白い展開になったとしても、
不信の方が募って乗ってくれなくなる。


どうすればいいか。

バッサリ切れ。


日本経済の「失われた10年」がある。
その10年は描かなくて良い。

バブルの繁栄、崩壊後の悲劇を描いたら、
「10年後」とバッサリ切り、
デフレ大不況から消費税増税の暗黒時代に進めば良い。

その間の就職氷河期や、
何も出来なくて辛かったことなど、
なくていい。
何故なら進展がないからである。

仮に1分かけて1年を描いているとしたら、
10分間進展がないことになる。
その間観客は苛々する。

だから切る。

便利な省略技法があるではないか。
「で、二時間煮込んだ鍋がこちらになります」だ。
「3年後」「10年後」「3日後」
などを使えばいいのだ。


最初に示したセンタークエスチョンに対して、
特に影響がなかった部分に関しては、
バッサリ切るのである。

あなたの中では全てが繋がっていて、
時系列順に話さないと話せないかも知れない。
要点だけ話せと言っても、
順番に話さないと話せないかも知れない。
では、
順番に話したのち、
本題(センタークエスチョン)と関係ない部分はオミットしなさい。

なぜなら、その部分は停滞しているからだ。


停滞の自覚は難しい。

センタークエスチョン完遂を100としたとき、
今20だとして、21になる所を描いたり、
15に戻ってしまう所を描くのはよい。
しかし、20が20になり、まだ20のままである、
を描く必要はないのだ。

そして、20がずっと20である時間に比例して、
あなたの信用は目減りしていく。

進めるか、逆境になるか、決めなさい。


進められないのは、進め方を思いつかないだけだ。
手塚チャートなどで展開を考え直すこと。


以下、僕が回避した停滞の例。

「知らせを待つ」というシークエンス。
一週間待つパートで、
その後大事件(悲劇)が起こる、タメの部分だと考えていた。

しかし何をやってもタメにならない。
ただ人物がお喋りしている、実に退屈なパートになっていた。
緩急の緩のつもりで、その後急降下するために必要部分と考えていたが、
緩いどころかテンションダダ落ちパートにしかなっていなかった。

考えた末、
「なんでずっと待ってんねん!こっちから行こうや!」
と、「待つことに切れて喧嘩する」
というシークエンスを仕込んだ。

これまで思っていたことを吐露させ、
仲間だったパーティが二つに意見が割れてしまう、
という小ストーリーを組んだ。

停滞ではなく、「後退」を選んだのだ。

そしてその後決定的な事件を起こし、
亀裂はさらに深くなる、という「後退の展開」を更に組み、
その後「これは敵の罠なのではないか」
と気づくことで、再び団結する、
という「後退したことによって前進する」
という、後退を利用したシークエンスを組んだ。

で、この勢いを利用して次へいくぞ、
となった瞬間、計画していた大事件を起こして、
悲劇の転落へ巻き込むことに成功した。


図にするとこうだ。

当初:
ーーーーーー\
       \停滞からの急降下

バッサリ切る:
ー \
   \連続性が途切れての急降下(退屈よりまし)


リライト後:

     /\
ー\  /  \
  \/    \
         \
停滞、切れて喧嘩、再び団結、そこから急降下(興奮)

ページ数は殆ど変わらなかった。
急降下が起こる時間帯はほぼ同じ。

つまり、停滞をバッサリ切る以上に、
アップダウンで揺さぶって、
当初の急降下を、さらに悲劇的に演出することに成功したわけだ。



今自分のストーリーが、このようなグラフになっているぞ、
を正確に認識することは難しい。

しかし「作者の都合ではなく、初見の観客の興奮と退屈」
だけを見ることで、このグラフは書ける。

大人の忖度ではなく、
子供目線になれば良い。

大人は忖度してあくびを我慢してくれる
(これは必要なものだろう、何か深い意味があるに違いない)
が、
子供はスマホを眺め始めるものだ。

そこを自覚できるかが、
停滞を探すポイントである。



停滞は切れ。
さもなくば、停滞を利用して、
もうひとドラマ仕込め。
posted by おおおかとしひこ at 07:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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