さもなくば、バッサリ落とすこと。
停滞は、ストーリーの半ばで、
最もよくある退屈のひとつである。
見せ場で、
ストーリーが動くことを描くことが出来たとしても、
見せ場と見せ場の間の繋ぎを書くことは非常に難しい。
次に大きく動くことがわかっていたとしても、
それまで何を描くべきかわからずに、
ただ事態が進まずに、
停滞を招いていることは、
稀によくあるシナリオ上の誤りである。
最悪なのは登場人物がただお喋りしているだけのやつで、
作者は楽しいんだけど観客は退屈しているやつだ。
お喋りはいいからストーリーを進めろ、
と苛々すらし始める。
観客は危機を乗り越えるさまを楽しみにしているのであり、
停滞を楽しみにしているのではない。
「このお喋りは、このあと起こる最悪の出来事の前の、
最後の楽しみであったのだ」
と観客が知っていればそのお喋りも悲劇の一部になるが、
これから先を知らない観客には、
ただの「ストーリーが進まない時間」に見える。
せっかく面白かったストーリーがクールダウンして、
絶対零度になってしまった苛々しかない。
夢中から怒りへ転じた観客は、
ストーリーテラーへの信頼がなくなり、
そこから多少面白い展開になったとしても、
不信の方が募って乗ってくれなくなる。
どうすればいいか。
バッサリ切れ。
日本経済の「失われた10年」がある。
その10年は描かなくて良い。
バブルの繁栄、崩壊後の悲劇を描いたら、
「10年後」とバッサリ切り、
デフレ大不況から消費税増税の暗黒時代に進めば良い。
その間の就職氷河期や、
何も出来なくて辛かったことなど、
なくていい。
何故なら進展がないからである。
仮に1分かけて1年を描いているとしたら、
10分間進展がないことになる。
その間観客は苛々する。
だから切る。
便利な省略技法があるではないか。
「で、二時間煮込んだ鍋がこちらになります」だ。
「3年後」「10年後」「3日後」
などを使えばいいのだ。
最初に示したセンタークエスチョンに対して、
特に影響がなかった部分に関しては、
バッサリ切るのである。
あなたの中では全てが繋がっていて、
時系列順に話さないと話せないかも知れない。
要点だけ話せと言っても、
順番に話さないと話せないかも知れない。
では、
順番に話したのち、
本題(センタークエスチョン)と関係ない部分はオミットしなさい。
なぜなら、その部分は停滞しているからだ。
停滞の自覚は難しい。
センタークエスチョン完遂を100としたとき、
今20だとして、21になる所を描いたり、
15に戻ってしまう所を描くのはよい。
しかし、20が20になり、まだ20のままである、
を描く必要はないのだ。
そして、20がずっと20である時間に比例して、
あなたの信用は目減りしていく。
進めるか、逆境になるか、決めなさい。
進められないのは、進め方を思いつかないだけだ。
手塚チャートなどで展開を考え直すこと。
以下、僕が回避した停滞の例。
「知らせを待つ」というシークエンス。
一週間待つパートで、
その後大事件(悲劇)が起こる、タメの部分だと考えていた。
しかし何をやってもタメにならない。
ただ人物がお喋りしている、実に退屈なパートになっていた。
緩急の緩のつもりで、その後急降下するために必要部分と考えていたが、
緩いどころかテンションダダ落ちパートにしかなっていなかった。
考えた末、
「なんでずっと待ってんねん!こっちから行こうや!」
と、「待つことに切れて喧嘩する」
というシークエンスを仕込んだ。
これまで思っていたことを吐露させ、
仲間だったパーティが二つに意見が割れてしまう、
という小ストーリーを組んだ。
停滞ではなく、「後退」を選んだのだ。
そしてその後決定的な事件を起こし、
亀裂はさらに深くなる、という「後退の展開」を更に組み、
その後「これは敵の罠なのではないか」
と気づくことで、再び団結する、
という「後退したことによって前進する」
という、後退を利用したシークエンスを組んだ。
で、この勢いを利用して次へいくぞ、
となった瞬間、計画していた大事件を起こして、
悲劇の転落へ巻き込むことに成功した。
図にするとこうだ。
当初:
ーーーーーー\
\停滞からの急降下
バッサリ切る:
ー \
\連続性が途切れての急降下(退屈よりまし)
リライト後:
/\
ー\ / \
\/ \
\
停滞、切れて喧嘩、再び団結、そこから急降下(興奮)
ページ数は殆ど変わらなかった。
急降下が起こる時間帯はほぼ同じ。
つまり、停滞をバッサリ切る以上に、
アップダウンで揺さぶって、
当初の急降下を、さらに悲劇的に演出することに成功したわけだ。
今自分のストーリーが、このようなグラフになっているぞ、
を正確に認識することは難しい。
しかし「作者の都合ではなく、初見の観客の興奮と退屈」
だけを見ることで、このグラフは書ける。
大人の忖度ではなく、
子供目線になれば良い。
大人は忖度してあくびを我慢してくれる
(これは必要なものだろう、何か深い意味があるに違いない)
が、
子供はスマホを眺め始めるものだ。
そこを自覚できるかが、
停滞を探すポイントである。
停滞は切れ。
さもなくば、停滞を利用して、
もうひとドラマ仕込め。
2020年02月21日
この記事へのコメント
コメントを書く