日本語をものすごく乱暴にふたつにわける。
単語、繋ぎの言葉だ。
どちらを優先的に考えるかで、
二種類の思考様式があるのでは、説。
単語: 名詞、固有名詞、形容詞、動詞語幹、副詞
繋ぎの言葉: 助詞、助動詞、活用語尾、複合語尾、代名詞、接続詞、
定型的な言葉(ということで、と考えられる、である、など)
などが該当するだろうか。
日本語は世界で二言語しかない膠着語(もうひとつは韓国語)で、
単語を間の繋ぎの言葉でくっつけて意味をつくる言語だ。
で、
思考というのは、
「ある話題に関する一連の考えや判断」だとしよう。
ある話題、というときに、
名詞ABC…が選ばれ、その範囲内での思考になるわけだ。
これらを繋ぎの言葉、xyz…などをつかって、
AxByCz…のように繋げていく(模式的だが)ことが、
思考である、と簡単に考えるとしよう。
このとき、(少なくとも)二種類の思考形式があるのでは、
というのが仮説。
ABC間の関係を考えながら、文を紡いでいくパターン。
もうひとつは、
ABCは抽象的な○×△に記号化されていて、
その関係性や論旨を先にざっくり考えてから、
文を書き始めるパターン。
前者は、ABCを即行書いて、xyzを後付けしたい。
後者は、xyzはできているから、あとは○×△を、
ABCに逆変換したい。
前者の人は、ABCは速くタイピングして、xyzは遅くてもいい。
後者の人は、ABCはゆっくりでいいので、xyzは光の速さでタイピングしたい。
これによって、
使用する配列の相性が決まるのではないか?
薙刀式は、xyzを重視した配列だ。
逆にいうとABCは弱い。
いや、本当に弱いかはわからないが、xyzの重視の分、
引っ込んでいると予測される。
飛鳥配列はxyzを重視した形跡があるが、
明瞭に考えていたかどうかまでは不明だ。
(少なくとも語尾倍速打鍵理論は、xyzは倍速で打ちたい、
ということを言っていたように思われる)
単純N-gram統計をベースにした配列、
たとえば新下駄は、
ABCもxyzも区別をつけずに確率的に打ちやすくしているから、
満遍なく速く打てるはずだ。
だから思考形式によらず打てるともいえるし、
どちらかに偏る人には使いづらいかも知れない。
既成のカナ配列を使ってみたが、
あまりしっくり来なかったのは、
僕自身がxyzタイプの人間だったからではないか、
と考える。
既成の配列の中でも飛鳥には非常に親近感があるのも、
思考様式が似ているからではないかと考えている。
めんめんつさんのツイートによれば、
彼はABCタイプのようだ。
たしかにいろは坂配列の打鍵動画では、
単語が異常に速く、タイパー的練習の賜物か、
などと勝手に思っていたが、
そうではなく、思考形式が打鍵速度そのものに表れていたわけだ。
予想だけど、タイパーにはABCタイプが多いのではないだろうか。
そうでなければ、延々とタイプウェルを打つのは苦だろうからだ。
(僕は苦です。関係性のない言葉の羅列は思考が伴わないのでしんどい)
xyzタイプの人のタイパーは、
入力オペレーターとかをやってたのかもしれないね。
多分一回ざっと読んで、内容を理解してから打っていたと考えられる。
一方ABCタイプのタイパーは、
通し読みをせずに、逐語的にコピー打鍵していくのではないだろうか。
あくまで極論だけど。
思考の形式は、人によって異なると思う。
両極端で考えたが、全く違う切り取り方もあると思われる。
薙刀式のいうところの、繋ぎの言葉と、膠着語としての繋ぎは、
厳密には同一でないと思う。
じゃあどういうのが「薙刀式のいう繋ぎの言葉」やねん、
というのが次の疑問で、
打鍵動画を録画して、一個一個拾って羅列してみようと思う。
膠着語が世界に日本語と韓国語(朝鮮語)しかないとおっしゃるのは、
なにか限定した条件の下での話なのでしょうか。一般的には、トルコ語を
代表とするチュルク系の言語や、日本に近いところでは朝鮮語や
モンゴル・満洲系の言語、遠いところではフィンランド語なども膠着語に
分類されると思うのですが。同様のことを以前の記事でも書いてらしたので
疑問に思った次第です。
これだけではなんですので、大岡さんが最近また触れられている「脳内発声」
ついて私の経験をひとつ。子供の頃から読書の際には「脳内発声」はほとんど
なかったのですが、英語以外の外国語を本腰を入れて学ぶようになって
しばらくすると、日本語文を読む際にも頻繁に「脳内発声」するようになって
しまいました。外国語文を読むときは「脳内発声」のオンとオフはすんなり
いくのです。しかし、日本語だとそれが難しく、頭の中がやかましい状態に
なってしまう。今はさすがにそういうことが少なくなりましたが、それでも
やはり油断すると頭の中で鳴っているときがあります。どうも読む速度が遅い
なと思ったときなどに自覚しますね。
「思考」についての一連の考察も興味深く読んでおります。思考や意識と
いったものは、私自身も折に触れては長年考え続けていることです。
もしかしたら外国語の学習もその延長線上にあるのかもしれません。
へえそうなんだ。
膠着語に関しては20年くらい前の情報なので、
その後研究が進んでそうなったのか、
それともその情報が誤っていたかもしれません。
チョムスキーの生成文法と人工知能についてだったので、
人文系と遠いところの話題だったので、
省略が効いていた可能性があります。
(分類の仕方にもよったりして)
英語の「,which …」も僕は膠着語っぽく感じますね。
外国語モードから一時的に日本語に戻した時に、
脳内発声があるんでしょうかね。
配列を切り替えた時にも同じ現象がありますね。
qwertyから薙刀式に変えると、
しばらく(10分くらい?)は脳内発声があります。
フリックと薙刀式でもあるなあ。
指差し確認みたいに、音声があるほうが確認が確実になるのでしょう。
帰国子女の人と話した時(サンプル1)、
頭の中の言語はどうなってんの?
と聞いたら「mix」と言ってました。
ある言葉は脳内発声があり、ある言葉はない、
みたいなことも言っていましたね。
脳の使い方が変わると脳内環境?も変わるのかもしれません。
配列学習初期にはミラー現象が頻発するし。