2020年02月22日

悪魔の誘惑

正義と悪の話を書くとき。

悪の言い分の方が魅力的に聞こえた方がいい。


なぜなら、
人は悪でもあるからだ。

無邪気な性善説は僕は信じていない。
人は悪に魅了される時があると思う。

豚骨ラーメンが悪だとわかっているのに、
その誘惑に負けてしまうのは、
人には悪の本質があるからである。

したがって、
悪は魅力に満ちるべきだ。

なぜなら、
観客には、
「決してそこへ行くことはないけれど、
このストーリーを見ている限りは、
その魅力的な世界を楽しめる」
という欲望があるからだ。

合法のドラッグかも知れない。
R18のものには、そうした要素があると思う。

AVでの凌辱ものとかNTRね。
決して現実ではやらないとしても、
悪の魅力を味わうことは、
大人に許された娯楽だ。


つまり、
悪のビジュアルだけでなく、
言い分そのものが魅力的でなくてはならない。
観客がその誘惑に負けてしまいそうになるべきだ。

悪いことだけの魅力ではない。
悪は未熟さやかわいさや未完成の魅力があっても良い。
たとえばドラマ風魔の壬生は、
悪役だが未完成が魅力である。

あらゆる魅力の手段を使って、
悪は魅力的に誘惑してくるべきだ。


さて。

じゃあ正義サイドさんは?
どう魅力的なんだろう。

その誘惑に負けない、しっかりとした理屈があるかな?

それが、テーマなんだぜ。


一党独裁が悪で、民主主義が正義だった時代があった。
しかし今のダイヤモンドプリンセスへの対応を見てる限り、
「俺が現場を責任持って仕切る」というエースの誕生を待ち望んでしまう。
責任のたらい回しは、民主主義にとって悪だと思う。
こういう時の正義の理屈は、なんだろうね。


人間の魅力も勿論必要で、
その人自体が悪の要素が一切なくて魅力的なわけではない。
そもそも魅力は悪に関係しているかもしれない。
ちょっと意地悪だとか、
時々毒舌とか、
時々ひどいことをいうとか、
怠惰だとか。

それでもその人は、悪に抗して正義の立場を選ぶわけで、
それが何故か、がきちんと描けた時、
その人は正義の魅力に満ち溢れる。


「恋愛小説家」という映画では、
主人公の小説家の酷い性格が徹底的に描かれる。
でも彼はある女性に恋をする。
彼女とデートしたとき、彼は自分の本心をいう。
「君に出会って、僕はいい人間になろうと思った」
僕が映画で見た正義の台詞で、ベスト3に入ると思う。

こういった正義の価値を「新しく」示せない限り、
ただ警察官やってるから正義だとか、
ヒーローっぽい身なりだから正義だとか、
ライトセーバー持ってフォース使えるから正義だとか、
ちゃんちゃらおかしいのだ。
コスプレ子供やんけ。



悪の魅力はわかった、
しかし私は正義の側に立つ。

人を描くには、なぜそうかという動機が、
最もテーマになる。


(正義はカウンターカルチャーか?
という深い問いも出来るが、それはまた別の機会に)
posted by おおおかとしひこ at 14:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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