正義と悪の話を書くとき。
悪の言い分の方が魅力的に聞こえた方がいい。
なぜなら、
人は悪でもあるからだ。
無邪気な性善説は僕は信じていない。
人は悪に魅了される時があると思う。
豚骨ラーメンが悪だとわかっているのに、
その誘惑に負けてしまうのは、
人には悪の本質があるからである。
したがって、
悪は魅力に満ちるべきだ。
なぜなら、
観客には、
「決してそこへ行くことはないけれど、
このストーリーを見ている限りは、
その魅力的な世界を楽しめる」
という欲望があるからだ。
合法のドラッグかも知れない。
R18のものには、そうした要素があると思う。
AVでの凌辱ものとかNTRね。
決して現実ではやらないとしても、
悪の魅力を味わうことは、
大人に許された娯楽だ。
つまり、
悪のビジュアルだけでなく、
言い分そのものが魅力的でなくてはならない。
観客がその誘惑に負けてしまいそうになるべきだ。
悪いことだけの魅力ではない。
悪は未熟さやかわいさや未完成の魅力があっても良い。
たとえばドラマ風魔の壬生は、
悪役だが未完成が魅力である。
あらゆる魅力の手段を使って、
悪は魅力的に誘惑してくるべきだ。
さて。
じゃあ正義サイドさんは?
どう魅力的なんだろう。
その誘惑に負けない、しっかりとした理屈があるかな?
それが、テーマなんだぜ。
一党独裁が悪で、民主主義が正義だった時代があった。
しかし今のダイヤモンドプリンセスへの対応を見てる限り、
「俺が現場を責任持って仕切る」というエースの誕生を待ち望んでしまう。
責任のたらい回しは、民主主義にとって悪だと思う。
こういう時の正義の理屈は、なんだろうね。
人間の魅力も勿論必要で、
その人自体が悪の要素が一切なくて魅力的なわけではない。
そもそも魅力は悪に関係しているかもしれない。
ちょっと意地悪だとか、
時々毒舌とか、
時々ひどいことをいうとか、
怠惰だとか。
それでもその人は、悪に抗して正義の立場を選ぶわけで、
それが何故か、がきちんと描けた時、
その人は正義の魅力に満ち溢れる。
「恋愛小説家」という映画では、
主人公の小説家の酷い性格が徹底的に描かれる。
でも彼はある女性に恋をする。
彼女とデートしたとき、彼は自分の本心をいう。
「君に出会って、僕はいい人間になろうと思った」
僕が映画で見た正義の台詞で、ベスト3に入ると思う。
こういった正義の価値を「新しく」示せない限り、
ただ警察官やってるから正義だとか、
ヒーローっぽい身なりだから正義だとか、
ライトセーバー持ってフォース使えるから正義だとか、
ちゃんちゃらおかしいのだ。
コスプレ子供やんけ。
悪の魅力はわかった、
しかし私は正義の側に立つ。
人を描くには、なぜそうかという動機が、
最もテーマになる。
(正義はカウンターカルチャーか?
という深い問いも出来るが、それはまた別の機会に)
2020年02月22日
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