2020年02月25日

自分を書いてはいけない(「ラストレター」評)

僕は岩井俊二のファンである。
彼がわーって来てる時('95-96ごろ)に、
日本映画でもこういうことが出来るんだと思い、
映画監督を志した。

しかし批判しなければならない。
これは映画のためだ。岩井俊二のためでもある。

以下ネタバレ。


僕はずっと、
「自分を主人公にしてはいけない」と書いてきた。

そうしたらどうなるか?
こうなるんだよ。


この物語の主人公は誰か?
既に死んだ姉か?
松たか子演じる妹か?
(本人のキャラクターは好きではないが、
仕事は完璧な)広瀬すず演じる娘か?

(ラスト、生徒会長の、既に決まっている原稿を読む芝居と、
辿々しく理解しながら読んでいく娘の芝居を演じ分けたのは、
日本映画史上に残る、パーフェクトな芝居だ。
この至宝を120%使えるシナリオが、なぜないのだ。
大竹しのぶ以来の逸材だ)

広瀬すずではない。
福山雅治演じる乙坂である。

松たか子が当初主人公かと思いきや、
途中から乙坂目線で話は進む。


乙坂の周りには、女しかいないことを思い出そう。
姉、妹、娘たち。
男は?
「得体の知れない」よれよれのトヨエツと、
引退したジジイの先生だけ。
誰も彼を脅かす者はいない。

これをなんていう?
ハーレム。

そう。これはメアリースーである。

証拠はたくさんある。

万能である。
小説で賞を取り、それはすごく面白いことになっているが、
それは作品内では見られず、評価のしようがない。
イケメンである。写真がうますぎる。
売れないくせに、いい部屋に住んでいる。

ことごとくサインをねだられ、
憧れの目で見られる。

ただうろうろしているだけで、何もしない。

そして、
愛されていた証拠で終わる。


男にとって、都合のいい妄想やセリフがたくさんある。

「小説家になりなよ」
「先輩とはじめて握手しちゃった!」
ラブレターが全部宝物として取ってあった。
娘はそれを何度も読み、暗唱できる。
誰も彼もが、彼と手紙をやり取りしたがる。

乗り越えるべき敵はトヨエツ。
しかし向こうの自滅に終わる。乗り越えていない。

そして美しい仙台の風景と、小林武史のいい音楽。


おれはすごい、おれはわるくない、おれは万能、おれはモテモテ。
そして周りは美しい風景、美しい女たち、美しい音楽。
はすっぱな女すら中山美穂で、サインを求められたり、
「寄ってく?」と言われる。

ああ、岩井俊二も闇に落ちたか。



私小説ならば誤魔化せるかもしれない。
しかし岩井俊二には、
いい女たちといい絵といい風景といい音楽という、
筆がある。
それを取って、私映画を作っただけのこと。



僕は岩井俊二のファンである。
神に唾を吐くのは嫌な気持ちだが、
神ではない人間ならば、
遠慮なく唾を吐きかける資格がある。

これが遺作にならないことを祈る。


乙坂の次回作は、
続きではないはずだ。





このへぼい内容に相応しくない、広瀬すずの素晴らしさよ。
タレントとしては大嫌いだが、
女優としては愛してる。
女のずるいところも含めて、よくぞあそこまで繊細に演じた。

蒼井優が大竹しのぶの跡を継ぐと思われたが、
その次は広瀬すずだろう。
posted by おおおかとしひこ at 15:15| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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